イシカリ場所・イシカリ十三場所(読み)いしかりばしよ・いしかりじゆうさんばしよ

日本歴史地名大系 の解説

イシカリ場所・イシカリ十三場所
いしかりばしよ・いしかりじゆうさんばしよ

石狩川および支流に設置された場所(持場)の総称。イシカリ十六場所ともいわれた。なおイシカリ場所は狭義には場所請負人の運上屋・元小屋などのある石狩川の河口部をいった。

〔イシカリ場所の成立〕

一七世紀後半には石狩川流域はハウカセ(ハフカセ)、かるへか(カルベカイン)などが支配するイシカリアイヌの領域であり(津軽一統志・快風船渉海記事)、石狩川中流域のチヨマカウタは交易場とされていた。シャクシャインの戦に関連して「津軽一統志」には「川(湊)より順風に二日登候て、ちよまかうたと申所に狄多御座候。松前よりの船ちよまかうた迄参候。方々の狄共ちよまかうたへ集りあきない仕候由に御座候」とある。「ちよまかうた」より川路二日でツイシカリ(現江別市)、五日路で石狩惣大将ハウカセの在所であった。ハウカセは「石狩の蝦夷頭」「石狩大将」とされ、石狩河口大将はヨウタインであった。イシカリは「大川有。浜にかゝり澗有。河口に狄家数を不知。其川のうへに七里奥に上の国惣大将居城有。大将ハウカセと申候。下人狄千人程有」(同書)とされ、ハウカセの勢力は強大であった。一六八八年(元禄元年)に常陸水戸藩では蝦夷地調査のために快風丸をイシカリまで派遣していた(「快風船渉海記事」など)

一六六九年(寛文九年)に始まるシャクシャインの蜂起にハウカセは参戦しなかったが、九二年には関嘉左衛門兼助へ「石狩御場所の内支配被下之」(「松前主水広時日記」七月一三日条)とあり、この頃にはイシカリにも商場知行地としての場所が設置されてくる。イシカリはシコツとともに巣鷹の産地で(津軽一統志)、一七〇〇年の支配所持名前帳には鳥屋の所在地として、「手汐石猟ノ伊別満多」「石猟ノ遊張志古津留参」「石狩ノシユマ満布」「石狩ノ沙津保呂」「石猟ノ志古津」「石狩ノ賀波多」がみえる。享保十二年所附には「者津志や婦」「志や津不路」「志乃路」「津以石狩」「加ばた」「い扁ちまた」「ゆふば里」「嶋まつ婦」と場所名が表れる。場所の交易は夏商い(夏場所)であったが、イシカリは鮭が豊富であったので秋味交易もなされていた。一七一七年(享保二年)の「松前蝦夷記」によるとイシカリは志摩守(松前藩主松前矩広)手船の派遣地であった。「蝦夷商賈聞書」には「石狩大川也、秋生鮭沢山、千石以上之船弐艘三ケ年之運上金千四百両、跡買ト申而四百石船弐艘運上金三ケ年ニ九百両、志摩守様エ揚ル、是ハ秋之商売也」とあり、「出物干鮭沢山、熊ノ皮・狐ノ皮・兎ノ皮川上之蝦夷共持参ル、浜辺之蝦夷数子・油等モアリ」と記され、夏場所として藩主家臣一二名が連記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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