ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「インノケンチウス1世」の意味・わかりやすい解説
インノケンチウス1世
インノケンチウスいっせい
Innocentius I
[没]417.3.12. ローマ
イタリアのカンパーニア地方,アルバノ出身の第40代教皇(在位 401~417)。聖人。教皇の首位権を主張し,その確立に尽力した。第39代教皇アナスタシウス1世の息子と考えられ,401年12月にその後継として教皇になった。追放されていたコンスタンチノープルの総大主教クリュソストモスを擁護し,404年に教会会議を招集するなど復位に努め,クリュソストモスの没後その地位を回復した。西ゴート族(→ゴート人)のアラリック1世によるローマ包囲に際しては 410年にラベンナで和平交渉にあたった。また 414年,アンチオキアの司教を承認し,三位一体をめぐり論争となっていたメレチウス派(→メレチウス)との教会分裂を収束させた。異端に対しては 417年1月にペラギウス派を断罪してその主導者ペラギウスを破門し,またドナツス派に対する勅書を出して多くの帰正者を得た。祝日は 7月28日。
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