アナスタシウス1世(読み)アナスタシウスいっせい(その他表記)Anastasius I

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アナスタシウス1世」の意味・わかりやすい解説

アナスタシウス1世
アナスタシウスいっせい
Anastasius I

[生]430? ディラキウム
[没]518.7.9. コンスタンチノープル
ビザンチン皇帝 (在位 491~518) 。前皇帝ゼノの死後正統派信仰の代表者として 61歳の高齢で皇帝に選出された。経済官僚としての長年の経験を生かして銅・金貨の割合を一定化し,徴税業務を地方長官直属の徴税官に移管。また悪評の高かった都市の営業税を廃止。かわりに農民に対する税金の引上げなど一連の経済政策を実施し,貨幣経済の確立に努めて国庫増収をはかった。対外的にはイタリアのテオドリック大王の東ゴート政権の承認 (497) ,ササン朝との和平条約調印 (505) などを果した。即位時は正統派信仰を公言していたが,徐々に異端キリスト単性説傾き,首都コンスタンチノープル住民の非難を受け,それはトリスハギオンの暴動 (512) を招き,バルカン全土を席捲して3度まで首都の城壁下に押寄せたビタリアンの反乱 (513) となって現れた。

アナスタシウス1世
アナスタシウスいっせい
Anastasius I

[生]?. ローマ?
[没]401.12.19. ローマ
ローマ出身とされる第39代教皇(在位 399~401)。聖人。教皇シリキウス(在位 384~399)の後継者。当時強い影響力をもった初期ギリシア教会の神学者オリゲネスの著作を激しく批判し,ラテン教父(→教父)のヒエロニムスから称賛された(ヒエロニムスの書簡 127番)。回勅の中ではオリゲネス派のいくつかの著作を非難している。またオリゲネスの教えを広めることを禁止した。アナスタシウス1世の美徳は,ヒッポのアウグスチヌス,ヒエロニムス,ノラのパウリヌスらから称賛されている。祝日は 12月19日。

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