翻訳|Trinity
キリスト教の根幹的教義の一つ。キリスト教においては,神はたんなる超越者でも内在者でもなく,超越者にして同時に内在者,見えざるものにして同時に見えるもの,人格以上であると同時に人格存在としてとらえられている。さらに歴史を超えると同時に歴史の中に働くものとして,神が人間となり(受肉),この人間が神のもとに帰ってのちに聖霊をつかわし,これによって受肉にはじまる救いの業(わざ)を継続し完成させることがいわれる。共時的には前者のように超越と内在の2項的表現がとられ,通時的には後者のように神・キリスト・聖霊の3項的表現がとられる。三位一体は主として後者の問題であるが,むろんその3項はそのまま時間の3相に応ずるものではなく,また共時と通時の二つの見方は切り離されないので,神の啓示の統一と尊厳をあらわすのにふさわしい表現が求められる。そこで神とキリストを〈父〉と〈子〉と呼び,聖霊を人間の霊と区別して〈父と子の一致と交わり〉と呼ぶ。これらはすでに聖書に見られる信仰告白的表現である。
このように神を三位一体として理解し語ることは,信仰の歴史性を重視するキリスト教固有のもので,新約聖書に至って初めて表出されたとはいえ,旧約聖書にその萌芽がないのではなく,後代の教義体系に先んじて聖書に深く根を下ろしていたものといえる。2世紀以後の教会で三位一体がはげしく論じ合われたが,その理由の一つはこれをギリシア哲学の論理で説明することの困難にあり,いま一つは信仰内容そのものの把握の困難にあった。アリウス派は神の唯一性を強調してキリストを被造物とし,他方サベリウス派は三位の区別を優先させて一体性を後回しにした。多くの教父と第1ニカエア公会議(325)は〈一実体,三位格una substantia,tres personae〉の定式をもって三位一体を固守したが,三位の統一を宇宙の循環運動になぞらえるとか,三位の成立と働きを神の摂理に帰する以上には出ないということがあった。アウグスティヌスは《三位一体論》の中で,聖霊は〈父と子よりex patre filioque〉発出することを確認して西方教会の神学を基礎づけたが,子は父より,聖霊は子より発出するという東方教会の表現も残している(フィリオクエ)。この異なる表現はのちの東西両教会分裂の一因でもあった。三位一体論は本質的に〈信仰と歴史〉という難題をめぐるものであったため,その論争はキリスト論にまで及んだが,さらに近代の教会においてもアルミニウス派やユニテリアンのように三位一体を否定するもの,あるいはシュライエルマハーのようにこれを教義として対象化せず,ただ信仰論に付随させるものもあった。これらを見ると教義の完結などありえないことがわかる。なお,教会暦で〈三位一体主日Trinity Sunday〉と呼ぶのは,聖霊降臨祭(ペンテコステ)のあとの最初の日曜日をさす。
→キリスト論
執筆者:泉 治典
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キリスト教のもっとも重要な教義。聖書において啓示される神について、信仰経験に基づいて展開された思索の成果であるといえる。三位一体とは簡潔に表現すると、聖書の神は、父と子と聖霊であることにおいては三つのペルソナ(位格)をもつが、神であること(本質)においては一つの実体として存在するということである。つまり、一なる神が父と子と聖霊という三つのペルソナにおいて啓示されたことを、人間言語の制約下で示すものである。キリスト教会では、この教義は理性の明るみにおいて把握できぬ至高の秘義(玄義)であると考えられるが、かならずしも理性と対立するものではない。「三位一体」という語は、最初にテオフィルスTheophilus Antiochenus(180ころ)によってギリシア語の三つtriasで表されたが、聖書にはみいだされない。キリスト教神学ではこの教義の予表を、アブラハムの家に「三人の人」が訪れた話(「創世記」18章)やイザヤの幻の三つの聖なるものなどのように、『旧約聖書』のテキストにみられると考えた。また『新約聖書』のある箇所、とくに「マタイ伝福音(ふくいん)書」(28章19)の「父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施せ」というバプテスマ(洗礼)の定式において、明らかに三位一体を示唆しているとも考えた。
この教義は初期キリスト教の教父によってしだいに形成されていったが、父と子と聖霊のそれぞれの特性を認めつつ、「一なる神である」という言語的表現の微妙さと難解さのために、この問題をめぐって正統と異端の論争が相当長く続く。ニカイア公会議(325)とコンスタンティノープル第1回公会議で、この教義はきわめて単純な形で定義された。サベリア派に対しては父と子と聖霊の区別を、アリウス派に対しては父と子と聖霊の等しさと共なる永遠性が主張された。三つのペルソナは、父は生まれず、子は父によって生まれ、聖霊は父から子を通して発出するという点で、その起源においてだけ相違する。教父時代にいくつかの三位一体論が論述されたが、もっとも徹底的で壮大な力作はアウグスティヌスのものであり、後世に大きな影響を与えることになった。人間の自己知と自己愛という現象を、神の三位一体を説明するのに類比的に用いているという点に、彼の三位一体論の特徴がみられる。
[中沢宣夫]
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…神学上はアリウス派の従属主義的キリスト論に対抗し,キリストを受肉した神のロゴスとしてとらえ,したがって父なる神と子なるキリストは〈ホモウシオス(同質)〉であると主張した。また聖霊についてもその神性と父なる神との同質を説き,三位一体神観を完成させた。この立場はキリスト教神学の正統となった。…
…アンセルムスは信仰を超自然的・非理性的に固定すること,また逆に自然的理性の中にとじ込めることのいずれをも退けて,神学固有の認識方法を立てたのであるが,その対象把握の深さと論証の厳密さとは比類なきもので,時代を超えて神学の模範となった。最初の著作《モノロギオン》はアウグスティヌスの《三位一体論》にならいつつも,独自の仕方で最高存在が三位一体をなすことを論証し,次の《プロスロギオン》では逆に三位一体からして神の存在が概念的にも必然であることを論証する。そしてこの循環の中で,最高存在はギリシア的な永遠不動の神ではなく,三位一体として働く活動的な存在であることが明らかにされた。…
…しかし,われわれが現在何の抵抗も感じないで使っている言葉のなかには〈世俗化〉されたキリスト教の用語が多くふくまれている。代表的なものとして〈十字架〉〈復活〉〈福音〉〈バイブル(聖書)〉〈三位一体〉〈洗礼〉〈終末〉〈天国〉などを挙げることができよう。これらの言葉がしばしばキリスト教的起源をはっきり意識しないで用いられている事実(たとえば苦痛や犠牲を〈十字架〉,必読書を〈バイブル〉などと比喩的に呼ぶ場合)は,ある意味でキリスト教の土着化のしるしとみなされよう。…
…本州中部の陽地草原に分布し,ヨーロッパからシベリア,さらにアラスカまで広く分布している。【堀田 満】
[シンボリズム]
クローバーはキリスト教の三位一体の象徴であり,さらにはアイルランドの象徴である。クローバーの学名Trifoliumが〈三つの葉〉を意味していることからもわかるように,クローバーは3枚の葉をもつのが通常である。…
… 3は誕生,新生,対立する原理の調和,具象,3点を結ぶ三角形で形の始まり,統合の中の成長の芽を表し,力動的な変化の数とされている。キリスト教では三位一体,キリストの生誕を祝福する東方の三博士の参拝などにみられるように聖なる数であり,中国では天・地・人の三才を示す。昔話や伝説には,三つのなぞ,3個の箱,三つの願い,3人の姉妹または兄弟などの主題がよくみられ,呪術的で神秘的なものごとの達成,失敗,転換とかかわる。…
…外典書によると,〈エジプト逃避〉からの帰路,聖家族はエリザベツの家に立ち寄り,イエスとヨハネの2人の子どもは幾日かをともに過ごしたが,ヨハネはすでにイエスを敬い接したことが記されている。また,ヨセフ,マリア,イエスの3者は,〈聖三位一体(天上の三位一体)〉に対する〈地上の三位一体trinitas terrestris〉とみなされ,二つの三位一体がしばしば重複して表現された(ムリーリョなど)。 なお,聖家族の祝日は公現祭(1月6日)後の最初の日曜日と定められている。…
…キリスト教の正統教義である三位一体論に反対して,神ひとりだけの神性を主張し,イエスの神性を否定する教派。神学思想としては,古代教会のアリウスや宗教改革時代のセルベトゥス,ソッツィーニなどによって主張されていたが,教派としては18世紀から19世紀にかけてイギリスとアメリカで別々に成立した。…
※「三位一体」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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