デジタル大辞泉
「後秦」の意味・読み・例文・類語
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こう‐しん【後秦】
- 中国、五胡十六国の一つ。三八四年、羌(きょう)族の長・姚萇(ようちょう)が、前秦から独立して建てた国。都は長安。二代興の時代、華北の西半分を領したが四一七年、三代で東晉の将・劉裕に滅ぼされた。ごしん。姚秦。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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後秦
こうしん
Hou-qin; Hou-ch`in
中国,五胡十六国の一つ (384~417) 。最初前秦の苻堅に従っていた羌 (きょう) 族の姚萇 (ようちょう) が自立し建国。のち国号を大秦と称した。都は長安。東は関中から淮河,漢水以北の地を占領し,西は弘始5 (403) 年後涼を滅ぼし,後燕と対立したが,東晋 (→晋) の将劉裕に永和2 (417) 年滅ぼされた。
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後秦
こうしん
384〜417
五胡十六国の一国
羌 (きよう) 族の族長姚萇 (ようちよう) が,384年に自立し,長安を拠点として建国。2代目のとき,全盛であったが,北魏に敗れ国力が衰え,東晋により滅亡させられた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の後秦の言及
【五胡十六国】より
…しかしさらに東晋を併呑して中国再統一を実現しようとした前秦皇帝[苻堅]の夢は,淝水の敗戦でついえ去った([淝水の戦])。 華北は再び混乱におちいり,東方では慕容部が国家再建をはかり(後[燕]),前秦の本拠関中では羌族姚氏が勃興した(後[秦])。河西地方では氐族呂氏が後[涼]を興したが,やがて鮮卑の南[涼]と匈奴の北[涼]が分離し,北涼からはまた漢族の西[涼]が独立して,これらの国々は互いに抗争した。…
【秦】より
…中国,五胡十六国の一つ。後秦ともいう。386‐417年。…
※「後秦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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