ウラーンバートル(その他表記)Ulaanbaatar

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウラーンバートル」の意味・わかりやすい解説

ウラーンバートル
Ulaanbaatar

モンゴル首都。旧称ではウルガ Urga,ダーフレー Daxüree,クーロン (庫倫) など。モンゴル中部,ヘンティー山脈西部の盆地,標高 1351mにある。トール川に臨み,周辺は豊かな草原地帯。年降水量約 300mm。月平均気温-22℃ (1月) ~16.4℃ (7月) 。行政上は特別市で,4区に分かれる。 1639年にハルハ人から活仏と認められたジェブツン・ダンバ・フトゥクトの居所となり,18世紀後半からは清朝の外モンゴルにおける政治,軍事の中心地ともなった。ロシアと中国の交易地としてもにぎわい,商業地区が設けられた。 1921年革命政府の所在地となり,1924年人民共和国の発足とともに「赤い英雄」を意味する現在名に改称,首都となった。国の人口の4分の1が集中し,政治,経済,文化,教育すべての中心地となっている。政庁舎,大学,科学アカデミー,劇場,博物館,放送局,出版所,ホテルなどがあり,郊外には畜産品の加工を主に軽工業が発達。シベリア鉄道のウランウデ,中国のフフホト (呼和浩特) と鉄道で結ばれ,国内の主要都市と自動車道,航空路で結ばれる。人口 116万1800(2011)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ウラーンバートル」の解説

ウラーンバートル
Ulaanbaatar

モンゴル国の首都。17世紀以後モンゴルの活仏(かつぶつ)ジェブツンダムバ・フトクト寺院を中心として発達し,イフ・フレー(漢語で庫倫(クーロン))と呼ばれた。ロシア人はウルガと呼んだ。清朝の辦事(べんじ)大臣が駐在し,中国商人の交易拠点ともなった。1911年の独立後首都となり,24年の共和制移行により国名モンゴル人民共和国と改められたのに伴い,現名となった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android