ウランバートル(読み)うらんばーとる(英語表記)Ulaanbaatar

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウランバートル」の意味・わかりやすい解説

ウランバートル
うらんばーとる
Ulaanbaatar
Ulan Bator

モンゴルの首都。同国の中央北寄り、トーラ川北岸にある。面積2000平方キロメートル、人口76万0077(2000)。ロシア人、中国人もかなり多い。標高1300~1350メートルの高原にある。1639年にザナバザル(のち初代ジェプツンダンバ・フトクトとなる)のために建てられたオルゴーörgöö(宮殿の意)がその起源である。このオルゴーは、モンゴル人の遊牧生活を反映して、その後20回以上も移動し、18世紀末に至って、ボグド山の北麓(ほくろく)を東から西に流れるトーラ川の北岸にほぼ落ち着き、以後大きく発展した。ヨーロッパ人は、このオルゴーをウルガと訛(なま)って発音して、町の名として用いた。1706年以後イフ・フレーIkh-Khüree(大寺院の意)と称され、中国人はこれを庫倫(クーロン)と称した。しかしヨーロッパ人は依然としてウルガと称した。1911年の独立宣言後ニースレル・フレー(nijslelは首都の意)と称され、モンゴル人民革命後まもない、24年にウランバートル(赤い英雄の意)と改称された。

 革命前、この町はモンゴル最高のチベット仏教ラマ教聖地であり、100以上の寺院があり、約2万人の僧侶(そうりょ)がいたとされる。経済的には、1691年の外モンゴルの清(しん)朝への帰服後、ロシアと清との交易の地として栄えた。また1757年以後、清朝の弁事大臣が駐在し、政治の一中心地ともなった。1921年の革命後、宗教都市としての側面は除かれた。現在、同国の政治、経済、文化の中心である。

 都市計画は1930年代にたてられたが、本格的な都市化は54年以後行われ、いまや近代都市に生まれ変わった。各種行政機関のほか、南西部に軽工業、重工業のコンビナートがあり、81年には日本の無償援助によって世界有数のカシミヤ工場が完成した。市内各所にアパートが林立し、団地形式のものもいくつかある。周辺部にはゲルパオ)の集落が多数ある。店舗にはデパート、スーパーマーケットのほか、古道具店、古書店もある。教育文化施設には大学、師範学校科学アカデミーと付設図書館、中央博物館、美術館、宗教博物館、ボグド・ハン博物館などの博物館、文化宮殿、劇場、歌劇場、サーカス場、中央スタジアム、体育館などがあり、社会主義体制下のモンゴルでも唯一機能していたラマ寺のガンダン寺院が西部にある。全体としてロシア風の都市景観を示している。

 なお社会主義時代には、外国人は、中国とロシアを結ぶ鉄道、またはロシアとの間にある航空路によってウランバートルに入り、外国人客の宿泊施設であるウランバートル・ホテルに泊まっていたが、1992年の社会主義放棄後は関西空港からの直行便も飛ぶようになった。

[吉田順一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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