エジプト‐イスラエル平和条約(エジプト‐イスラエルへいわじょうやく)
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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エジプト−イスラエル平和条約
エジプト−イスラエルへいわじょうやく
Egypt-Israel Peace Treaty
1979年にエジプト大統領サダトと,イスラエル首相ベギンとの間で調印された平和条約
アメリカ大統領カーターの仲介により,エジプト・イスラエル間で調印。この条約によってシナイ半島はエジプトに返還されたが,アラブ諸国はエジプトを非難,サダトは1981年イスラーム原理主義者によって暗殺された。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のエジプト‐イスラエル平和条約の言及
【中東戦争】より
…一方,シリア・イスラエル間には74年5月31日ゴラン高原の兵力引離し協定が成立し,シリアはクネイトラの町を回復し,ゴラン高原には国連兵力引離し監視軍(UNDOF)が駐留した。 エジプトは,77年11月サーダート大統領のイスラエル訪問を経て,79年3月26日イスラエルと平和条約(エジプト・イスラエル平和条約)を締結し,82年4月25日シナイ半島全土をイスラエルから回復した。これらは78年の[キャンプ・デービッド合意]にみられるようにアメリカの外交工作が大きく関係しており,パクス・アメリカーナと呼ばれる。…
【パレスティナ問題】より
…また,パレスティナ人の民族的自決権,帰郷または補償を受ける権利の承認こそ中東の平和の前提条件であるべきだ,という認識と,これに沿って[中東和平問題]の過程にPLOを参加させるべきだという要求とが,国際的に広く受け入れられるようになった。 これに対して,占領地を維持して占領地パレスティナ人をイスラエルの労働力として組み込みながら,占領地でのユダヤ人入植地の拡大を進めつつあったイスラエルは,77年リクード政権の成立後,77年エジプトのサーダート大統領のエルサレム訪問を機として,78年[キャンプ・デービッド合意],79年エジプト・イスラエル平和条約(1982年春までにシナイ半島をエジプトに段階的に返還)によってエジプトと国交を樹立して,アラブ諸国を切り崩す一方,占領地のイスラエル化を促進し,80年エルサレム恒久首都化法,81年ゴラン高原併合,78年以降の継続的な南部レバノン攻撃によって,上記のような国際世論の動向に対して抵抗した。そして82年6月全面的なレバノン戦争を開始し,レバノンからPLOおよびパレスティナ人武装勢力を排除することに成功した。…
※「エジプト‐イスラエル平和条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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