荒川洋治(読み)あらかわようじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「荒川洋治」の意味・わかりやすい解説

荒川洋治
あらかわようじ
(1949― )

詩人。福井県坂井郡生まれ。1967年(昭和42)福井県立藤島高校2年生の冬、詩誌『とらむぺっと』を創刊。全国から同人を募り、隔月刊で荒川が大学2年生の19号まで続き、終刊までに全国の高校生100余名が参加。この雑誌は2号に1回程度、詩人や小説家に原稿を依頼し、井上光晴、谷川俊太郎らが寄稿した。また、同人の詩集も次々と刊行し、このプロデューサー的姿勢は後の紫陽社(しようしゃ)の活動へとつながってゆく。このころ、福井在住の詩人則武(のりたけ)三雄(1901―1990)、広部英一(1931―2004)、岡崎純(1930― )、南信雄(1939―1997)、川上明日夫(あすお)(1940― )らの指導を受ける。1968年早稲田大学第一文学部に入学。在学中の1971年、第一詩集『娼婦論』を刊行、注目を集める。1972年「娼婦論」を卒業論文として早稲田大学第一文学部文芸科を卒業。この作品は平岡篤頼(とくよし)(1929―2005)教授の推薦で小野梓芸術賞を受賞する。同年都内の編集会社に入社。1974年勤めのかたわら自宅で出版社紫陽社を始め、おもに新人の詩集を刊行する。1975年詩集『水駅(すいえき)』を刊行、第26回H氏賞を受賞。戦後詩のモダニズム的方法意識を批判的に乗り越え、一見口語自由詩以前を志向するかにも思わせる雅語、漢語多用はむしろ古風とさえいえるが、吉本隆明をして「喩の意味を変えた」とまでいわしめた鮮烈な喩法とそれに見合った新鮮な語彙(ごい)の数々はその地理的想像力の壮大な気宇も相まって戦後詩の棹尾(とうび)を思わせるものがあった。1980年編集会社を退社。以後文筆に専念する。

 荒川洋治の1980年代は「シフトダウン」(瀬尾育生、1948― )の時代であった。「娼婦論」や『水駅』にみられた雅語や漢語、宏大な想像力、多方向に開かれたメタファーの数々は打ち捨てられ、かわって日常的でさらには卑俗といってよい言語空間が現れる。それはかつて「口語の時代はさむい」(『水駅』)と語られたまさにその「口語の時代」を自らに引き受け、詩を一般性のほうへ送り返そうとするかにもみえた。また、この時期の荒川の詩論は1977年の「技術の威嚇」や1979年の「アイキューの淵より」にみられるように、自らへの批判をいわば方法的悪意とでもいうべきものによって詩壇的、文学的状況へと送り返し、そこに立ち上がる異和によってそれらを相対化してみせる。詩作品においても、その低徊(ていかい)趣味(にみえるもの)は、単に一般性、日常性への接続/解放を意図しているのではなく、たとえば詩集『ヒロイン』(1986)所収の、詩篇(しへん)上に傍線を付された一連の作品を「ボーセンカ・シリーズ」と名づけ、その傍線を付したところが「荒川洋治の詩」の「すごい部分」を表すのだ、といってみせたりする(『現代詩手帖』1985年10月号)ように、現代詩、あるいは文学そのものをまさに悪意と異和のうちに薄っぺらく肥大させ、対象化してみせたのである。1996年(平成8)以降、自らの肩書を「現代詩作家」としたのもあるいは同様の意図があったかもしれない。1997年詩集『渡世』を刊行、第28回高見順賞を受賞する。1994年の詩集『坑夫トッチルは電気をつけた』できざしていた「低空飛行」からの上昇は、この詩集において、まさにその「低空飛行」によって獲得しえた社会的な素材の平明な散文性への昇華によって実現したのである。1999年詩集『空中の茱萸(ぐみ)』を刊行、これにより第51回読売文学賞を受賞。その平明な散文性はもはや、徹底的に散文であることによって内側から「詩」を分泌するとでもいうほかない独自の高みを示しており、それはまさに「詩」の、「世界」への遍在をこそ告げるものではないだろうか。

 このほか、ラジオにパーソナリティーやコメンテーターとしてレギュラー出演し、また、早くから小説に高い関心をもち続け、『産経新聞』に文芸時評を執筆、『朝日新聞』の書評委員を務める。著書に詩集『あたらしいぞわたしは』(1979)、『荒川洋治全詩集』(2001)、詩論集に『シロン85』(1985)、『詩論のバリエーション』(1989)、エッセイ集に『アイキューの淵より』(1979)、『世間入門』(1992)、風俗ルポルタージュ『ボクのマンスリー・ショック』(1985)などがある。

[田野倉康一]

『『水駅』(1975・書紀書林)』『『あたらしいぞわたしは』(1979・気争社)』『『アイキューの淵より』(1979・気争社)』『『シロン85』(1985・気争社)』『『詩論のバリエーション』(1989・学芸書林)』『『笑うクンプルング』(1991・沖積社)』『『世間入門』(1992・五柳書院)』『『坑夫トッチルは電気をつけた』(1994・彼方社)』『『渡世』(1997・筑摩書房)』『『空中の茱萸』(1999・思潮社)』『『荒川洋治全詩集』(2001・思潮社)』『『ボクのマンスリー・ショック』(新潮文庫)』『『現代詩手帖』2000年3月号特集「荒川洋治の挑戦」(思潮社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒川洋治」の解説

荒川洋治 あらかわ-ようじ

1949- 昭和後期-平成時代の詩人。
昭和24年4月18日生まれ。早大在学中の昭和46年第1詩集「娼婦論」をだし,51年「水駅(すいえき)」でH氏賞,平成12年「空中の茱萸(ぐみ)」で読売文学賞。戦後派世代の言語感覚が注目された。詩書出版の紫陽社の経営にもあたる。17年「心理」で萩原朔太郎賞。18年「文芸時評という感想」で小林秀雄賞。福井県出身。評論に「詩論のバリエーション」など。

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