日本大百科全書(ニッポニカ) 「サダト」の意味・わかりやすい解説
サダト
さだと
Muammad Anwar al-Sādāt
(1918―1981)
エジプトの政治家、第2代大統領。1952年7月の軍事クーデターを実行した自由将校団の中心メンバーの一人。1938年陸軍士官学校卒業。第二次世界大戦中は地下反英運動を行う。ナセルに率いられる自由将校団運動ではムスリム同胞団との連絡係として活躍。1969年にただ一つの副大統領の地位に就任するまでは、国民議会議長などになったものの、ナセル政権の中枢から離れていた。ナセルの死に伴い1970年10月大統領に選出される。アラブ社会主義者連合(ASU)を拠点とする左派のアリー・サブリーら反サダト勢力の一掃やソ連軍事顧問団の国外追放などによって自らの指導体制を固める一方、1973年10月の第四次中東戦争(十月戦争)で一躍英雄の座を確保した。その後、経済開放政策を柱とする「10月ペーパー」を提唱し、ナセル体制の修正、欧米およびアラブ産油国との接近を図った。1977年11月の電撃的なエルサレム訪問を経て、キャンプ・デービッド協定の調印に踏み切った。この和平努力によりサダトは1978年ノーベル平和賞を受賞するが、アラブ陣営でタブーとされたイスラエルとの単独の平和条約の締結は、中東の国際関係にさまざまな波紋を生み出した。1981年10月6日、十月戦争を記念する軍事パレードを観閲中に暗殺された。著書に『ナイルの反乱』(1957)や自伝がある。
[伊能武次]
『朝日新聞外報部訳『サダト自伝』(1978・朝日イブニングニュース社)』▽『読売新聞外報部訳『サダト・最後の回想録』(1982・読売新聞社)』