大学事典 「エリザベス学則」の解説
エリザベス学則
エリザベスがくそく
1570年に改訂されたケンブリッジ大学学則。1561年の開封勅許状,70年のエリザベス学則,71年のオックスフォード・ケンブリッジ大学法は,1853年のケンブリッジ大学法の制定まで大学運営の基本的性格を決定づけた。学則改訂の直接の契機は,レディ・マーガレット神学講座の教授職就任講義において,イギリス国教会を批判したピューリタン派トマス・カートライト,T.(Thomas Cartwright, T.)を大学から追放するためであったが,背景には学生の社会構成の変化への対応と国王の大学への干渉があった。16世紀にはヘンリ8世によるトリニティ・カレッジ(イギリス)をはじめとする新カレッジ(イギリス)の創設により,大学の規模が拡大しただけでなく,上級学位取得を目的としない上流階級出身の学生が増加し,都市の人口増に伴うタウンとガウンの争いが頻発した。国王たちは大学に特権や寄付を与えると同時に,統治エリートおよび改革されたイギリス国教会の指導者たるべき若者の教育機関としての大学への関与を強化し始めた。
エリザベス学則はヴァイス・チャンセラーと学寮長5名から構成される委員会(caput)に権力を集中させた。そのため対外関係・学内管理担当の役職者である学監の権威は縮小され,大学教師による民主的な大学運営は寡頭支配へと性格を変え,大学運営におけるカレッジの大学に対する優位性が確立された。
著者: 中村勝美
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報