カイロネイアの戦(読み)カイロネイアのたたかい

百科事典マイペディア 「カイロネイアの戦」の意味・わかりやすい解説

カイロネイアの戦【カイロネイアのたたかい】

ボイオティア北西の都市で,北から中部ギリシアへ入る要地カイロネイアで行われた戦い。(1)前338年マケドニアフィリッポス2世がテーバイアテナイ連合軍撃破,ギリシアに対する覇権確立。(2)前86年ローマの将軍スラがポントス王ミトリダテス6世を撃破。
→関連項目アテネコリントス同盟デモステネス

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改訂新版 世界大百科事典 「カイロネイアの戦」の意味・わかりやすい解説

カイロネイアの戦 (カイロネイアのたたかい)

マケドニアのフィリッポス2世とギリシア連合軍の戦い。ギリシア北方で急速に興隆したマケドニア王国勢力は,フィリッポス2世の下で中央ギリシアに及んだ。これに脅威を感じたテーバイとアテナイは同盟を結んで対抗。前338年夏,両軍はボイオティア北西の都市カイロネイアChairōneia近郊で対戦したが,勝利はマケドニア側に帰した。ギリシア諸ポリスは,この敗戦で事実上の自治・独立を失った。
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世界大百科事典(旧版)内のカイロネイアの戦の言及

【フィリッポス[2世]】より

…この間ケルソネソス半島に勢力を再建したアテナイと,カルキディケ半島へ圧力を加えた彼との衝突は,彼に有利な平和条約の締結と彼の手による神聖戦争の終結となった(前351‐前346)。これに対しアテナイのデモステネスを指導者とするギリシアの反マケドニア運動も,前338年夏のカイロネイアの戦でギリシア連合軍がマケドニア軍に完敗し挫折した。その冬スパルタを除くギリシア国家の代表がコリントスに集まり,ギリシア連合(コリントス同盟)が成立,ギリシア国家間の平和の遵守とその侵犯者への攻撃という連合憲章に基づき,前337年彼はペルシア遠征の総司令官に任ぜられ,翌年先遣隊を派遣したが,その後私怨により暗殺された。…

※「カイロネイアの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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