ミトリダテス(読み)みとりだてす(その他表記)Mithridates Ⅵ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミトリダテス」の意味・わかりやすい解説

ミトリダテス(6世)
みとりだてす
Mithridates Ⅵ
(前132ころ―前63)

小アジア地方のポントス王(在位前120~前63)。ミトラダテス6世ともいう。黒海周辺をはじめ積極的な版図拡大政策を進め、アルメニア王ティグラネス1世と同盟を結び、ローマ帝国との戦闘を繰り返した。紀元前88年ローマの属州に侵入した王は、圧政下にあった属州民の支持を得、領内の8万人のローマ人は虐殺された。ローマ元老院はミトリダテス討伐のために将軍スラを送り、スラは勝利を収めた。その結果ローマに有利な和平が成立したが、王はその後も、地中海の海賊やイベリア半島で独立政権を建てたセルトリウスと結んでローマとの戦いを続けた。前73年以降ローマからはルクルスが派遣されていたが、その後、海賊討伐で名声を得たポンペイウスが登場した。王は前66年ポンペイウスに敗北を喫し、クリミア半島に逃亡した。しかし自国内で反乱が起き、前63年自殺したため、いわゆるミトリダテス戦争は終結した。

吉村作治


ミトリダテス(1世)
みとりだてす
Mithridates Ⅰ
(?―前138ころ)

パルティアアルサケス朝)の王(在位前171ころ~前138ころ)。ミトラダテス1世、アルサケス6世ともよばれる。兄フラーテス1世の後を継ぎ即位した。王はバクトリア王国のメルブ地方、セレウコス朝支配下のメディアを征服後、エラムバビロニアをも獲得し、王国繁栄の基礎を築いた。西はユーフラテス川から東はガンジス川に及ぶ広大な版図を領有し、王は自ら「ギリシア人の友」と称し、その文化を愛好した。

[吉村作治]

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百科事典マイペディア 「ミトリダテス」の意味・わかりやすい解説

ミトリダテス[6世]【ミトリダテス】

小アジアのポントス王(在位前120年ころ―前63年)。ミトラダテスともいい,〈大王〉と通称される。小アジア全土を掌握,ローマの東地中海支配に挑戦し,前88年―前63年,3次のミトリダテス戦争を起こした。最後はポンペイウスに敗れて自殺。
→関連項目カイロネイアの戦デロス[島]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ミトリダテス」の解説

ミトリダテス
Mithridates

ミトラダテス(Mithradates)ともいう。小アジアのポントス王国の王。同名の王がいるなかで,6世エウパトル(前132頃~前63,在位前120~前63)が有名。王国の近隣に進出し,ローマの東地中海支配に挑戦した。前89~前85年の戦争ののち,ローマの将スラと和した。前74年以後ローマの将ルクルスと戦い,最後にポンペイウスに敗れて自殺した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ミトリダテス」の解説

ミトリダテス(6世)
Mithridates Ⅵ

前132ごろ〜前63
小アジアのポントス王(在位前120〜前63)
有名なミトリダテス戦争をひき起こし,3回にわたってローマと戦った。ローマ支配下で重税に苦しむ住民に解放者として迎えられたが,第1次でスラ,第3次でポンペイウスと戦って敗れ,クリミアに逃れ,のち自殺した。

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