カジミエシ5世(読み)カジミエシごせい(英語表記)Kazimierz V Waza

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カジミエシ5世」の意味・わかりやすい解説

カジミエシ5世
カジミエシごせい
Kazimierz V Waza

[生]1609.3.22. クラクフ
[没]1672.12.16. ネベール
ポーランド王 (在位 1648~68) 。ジグムント3世ワーザの次子。一般にはヤン2世カジミエシの名で知られる。その治下ポーランドは絶え間ない内憂外患に悩まされ,多くの領土を失った。三十年戦争中ハプスブルク家を支持し,西ヨーロッパの各地を転戦。 1648年兄ウワディスワフ4世の跡を継いで即位。まず B.フメリニツキーに率いられたウクライナ・コサックの大反乱 (48~67) に直面,交渉を望んだが,貴族の圧力で武力弾圧を強行し,一時はコサック=タタール連合軍を撃破した (51) 。しかしコサックを支持したロシアとの戦争に巻込まれ (54~56,58~67) ,アンドルーソボ条約でドニエプル川東岸の全ウクライナを失った。他方でスウェーデン王位を要求してカルル 10世グスタフに率いられたスウェーデン軍の侵入を受け (55~60) ,ポトプ (大洪水) と呼ばれる一大国家危機を招来した。一時国外に避難したが,反スウェーデン農民蜂起 (56) に助けられ,帰国。カトリック国教と定め,スウェーデンを支持したポーランド同胞教団その他の新教徒追放 (58) 。スウェーデンとは北リボニアを放棄してオリーバ条約を結んだ (60) 。晩年国政に疲れて退位パリのサン・ジェルマン・デ・プレ修道院で余生をおくった。

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