カルルスバートの決議(読み)カルルスバートのけつぎ(その他表記)Karlsbader Beschlüsse; Carlsbad Decrees

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルルスバートの決議」の意味・わかりやすい解説

カルルスバートの決議
カルルスバートのけつぎ
Karlsbader Beschlüsse; Carlsbad Decrees

1819年9月 20日,カルルスバート (現チェコのカルロビバリ) のドイツ主要国会議で行われた自由主義,国民主義運動弾圧の決議。ウィーン体制下のドイツでは,自由と統一を求める学生運動が盛上がり,17年にはワルトブルク祝祭が開催され,次いで 19年には文学者 A.コッツェブーが,ロシア皇帝のスパイであるとして,イェナ大学の一学生 K.ザントによって殺害される事件が起った。この事態を利用したメッテルニヒは,同年8月カルルスバートに主要 10ヵ国の大臣を集めて自由主義弾圧を決議し,カルルスバート法令が起草され,それを連邦議会に提出,同年9月可決された。その結果,出版物の検閲,大学の監視が行われ,学生組合も厳禁されることになった。さらにマインツに常設の中央捜査委員会が設置され,革命運動の捜査や思想調査が行われた。

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