…イギリスの水彩画家。早くから生地ロンドンをはじめイギリス各地で風景や建築のスケッチを行う。20歳を過ぎた頃から病身となるが,1801‐02年パリに赴き,パリやフランス各地の景観を多くの素描や水彩画に写す。当時消耗品として機械的に制作されることの多かった水彩画を,簡潔な様式と調和した色彩によって芸術的創作の域に高めた。美術史における彼の影響は間接的であるが,少年時代から交友のあったターナーは,〈彼が生きていたら,私は飢えていただろう〉と,その才能をたたえたという。…
※「カーディフ城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」