ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カールマル」の意味・わかりやすい解説
カールマル
Karmal, Babrak
[没]1996.12.3. ロシア,モスクワ
アフガニスタンの政治家。大統領(革命評議会議長。在任 1979~86)。1950年代,学生時代にマルクス主義の政治活動に参加して 5年間投獄された。釈放後は軍に入隊,その後復学して法学士号を取得。1965年にアフガニスタン人民民主党の結成に参加し,1965~73年に国会議員を務めた。1967年にアフガニスタン人民民主党がハルク(人民)派とパルチャム(旗)派に分裂すると,親ソビエト連邦で穏健なパルチャム派の指導者となる。1977年,対立していた 2派は再統一し,1978年にはソ連の支援を受けて政権を握ったが,政権内部の抗争により,副首相だったカールマルはチェコスロバキア大使に降格されプラハに送られた。1979年12月,ソ連軍がアフガニスタンに侵攻すると,カールマルは大統領に擁立されて帰国。だが,ムジャーヒディーンと称されるイスラム反政府勢力が西側諸国,特にアメリカ合衆国からの支援を受け,カールマル共産主義政権に執拗な攻撃を加えた。アフガニスタンは冷戦の戦場となり,ソ連政府は国内の諸問題に対する責任を負わせるかたちでカールマルを公然と非難した。1986年11月,カールマルは健康問題を理由に辞任し,秘密警察長官を務めたムハンマド・ナジブラにあとを譲った。(→アフガニスタン紛争)
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