カーロイ(読み)かーろい(英語表記)Károlyi Mihály

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カーロイ」の意味・わかりやすい解説

カーロイ
かーろい
Károlyi Mihály
(1875―1955)

ハンガリーの政治家。重農主義派の指導者である父シャーンドルと独立派の指導者アポニ・アルベルトとの影響下に育つ。1899年にブダペスト大学法科を卒業後、貴族院終身議員として政界に入る。1901年自由党入党。05年選挙を機に独立党入党、13年に再統一された独立党の党首となり、親仏的活動を展開。第一次世界大戦中も反独を主張した。18年十月革命のなかで国王の命で組閣をするが、革命は進展し、11月に共和国宣言が出され、翌年1月に大統領に就任した。しかし、自らの講和条約締結失敗を受けて3月に成立した社共政権も倒壊するとみると、7月に国外に脱出。以後欧米を回り名声を得る。第二次大戦後帰国し、47年に駐仏大使。49年のライク裁判を機に職を辞し、フランスで余生を送った。

[家田 修]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カーロイ」の意味・わかりやすい解説

カーロイ
Károlyi Mihály

[生]1875.3.4. フォート
[没]1955.3.20. バンス
ハンガリーの政治家。貴族の出身 (伯爵) 。 1910年保守主義者として議会に選出されたが,まもなく左傾,大土地所有の解体,普通選挙権,諸民族の平等,ハンガリーの自治,親スラブ外交を唱えた。第1次世界大戦末期の 18年独立政府首相,次いで大統領。普通選挙権,8時間労働,農地改革などの自由主義諸政策を実施,率先して自分の領地を分配した。しかし領土問題で連合国の譲歩が得られず,19年辞職,亡命。一貫してホルティ政権を批判。 46年帰国,47~49年駐フランス大使。ライクの粛清裁判を批判して再度亡命。

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