独立党(読み)どくりつとう(英語表記)Tokriptang

精選版 日本国語大辞典 「独立党」の意味・読み・例文・類語

どくりつ‐とう ‥タウ【独立党】

李氏朝鮮末期の政治党派中心人物金玉均朴泳孝ら。日本にならった政治改革を主張し、一八八四年日本の援助甲申の変を起こして政権を握ったが失敗。九四年再度の政権獲得も、三国干渉による日本の後退で失敗し革新的性格を失った。

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デジタル大辞泉 「独立党」の意味・読み・例文・類語

どくりつ‐とう〔‐タウ〕【独立党】

開化派かいかは

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「独立党」の意味・わかりやすい解説

独立党
どくりつとう
Tokriptang

開化党,日本党ともいう。朝鮮,朝鮮王朝 (李朝) 末期に閔氏一派の守旧事大 (保守親清) 政策に反対し,日本の明治維新にならい日本と結んで政治改革を行おうとした党派。高宗 19 (1882) 年の壬午の変前後に形成された党派で,日本を視察し,実学思想を継承した金玉均朴泳孝洪英植,徐載弼,朴泳教,徐光範らを幹部としている。同 21年 12月,清仏戦争に乗じ,民族独立,政体改革をはかり,日本公使竹添進一郎や日本の国士たちと協議,甲申の変 (→京城事変 ) を断行するが,竹添のためらい,清軍の介入で失敗した。日清戦争中,甲午の改革で再登場したが,戦後,親露派が勢力を得るなかで,同 32年 10月閔妃殺害 (→乙未事変 ) で事大党打撃を与えたが,独立党も当初の革新的な性格を失い,日本の勢力に依存するものとなってしまった。しかし,その近代的なブルジョア改革,民族独立の思想は,政治,文化,思想の分野に多様な影響を与えた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「独立党」の解説

独立党
どくりつとう

開化党・日本党とも。李朝末期の朝鮮内の青年革新派。1882年の壬午(じんご)事変後,日本との接触のなかで,進歩的な思想の影響をうけた朴泳孝(ぼくえいこう)・金玉均(きんぎょくきん)・徐光範(じょこうはん)らが中心人物。日本の支持をうけ,清国に依存する閔(びん)氏一派の保守的な事大党と対立。84年の甲申(こうしん)事変に際し,一時閔氏一派から政権を奪ったが失敗し,朴・金らは日本に亡命。日清戦争に乗じて政治改革運動を展開したがこれも失敗。

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旺文社日本史事典 三訂版 「独立党」の解説

独立党
どくりつとう

李氏朝鮮末期の朝鮮宮廷内における親日的革新派
金玉均・朴泳孝 (ぼくえいこう) らが中心となって,清国と結ぶ保守的な事大党と対立。明治維新にならって国内改革をはかったが1884年の甲申事変に失敗。

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改訂新版 世界大百科事典 「独立党」の意味・わかりやすい解説

独立党 (どくりつとう)

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百科事典マイペディア 「独立党」の意味・わかりやすい解説

独立党【どくりつとう】

開化派

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「独立党」の意味・わかりやすい解説

独立党
どくりつとう

開化派

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旺文社世界史事典 三訂版 「独立党」の解説

独立党
どくりつとう

開化派

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