キミライコネン(英語表記)Kimi Räikkönen

現代外国人名録2016 「キミライコネン」の解説

キミ ライコネン
Kimi Räikkönen

職業・肩書
F1ドライバー,ラリードライバー

国籍
フィンランド

生年月日
1979年10月17日

出生地
エスポー

本名
Räikkönen,Kimi Matias

経歴
1987年カートレースでドライバーデビュー。のち4輪レースにデビューし、’99年、2000年のフォーミュラ・ルノー・チャンピオン。フォーミュラ・レース23戦の経験ながら、2000年F1チーム・ザウバーのテストを受け契約。当初テストライセンスの発給さえ危ぶまれたが、テスト経過を見て国際自動車連盟(FIA)がスーパーライセンスを発給。F3未経験のF1ドライバーとして大きな注目を集める。2001年デビュー戦のオーストラリアGPでいきなり6位入賞を果たすなど活躍し、同年は総合9位。2002年マクラーレンへ移籍し、総合6位。2003年第2戦マレーシアGPで初優勝、総合2位。2004年総合7位、2005年総合2位、2006年は未勝利で総合5位。2007年皇帝ミハエル・シューマッハーが引退したフェラーリに移籍。10月最終戦のブラジルGPで、総合トップに立っていたルイス・ハミルトン(マクラーレン)、2位フェルナンド・アロンソ(同)をかわして6勝目を挙げ、僅か1ポイント差で初の年間王者となった。しかし2008年は2勝で総合3位、2009年は1勝で総合6位に終わり、契約を1年残してフェラーリを離脱。一方、もともとラリーが好きで、2009年F1レースの合間にラリーレースに出場、世界ラリー選手権(WRC)のラリー・フィンランドでWRCデビューも果たす。2010年からF1休戦をして、シトロエン・ジュニアチームからWRCに参戦し、同年総合10位。2012年ロータス(現・ケータハム)と契約してF1に復帰、アブダビGPで優勝するなど総合3位に入った。2013年は開幕戦のオーストラリアGPで優勝(総合5位)。2014年は総合12位。2015年は総合5位。175センチ、62キロ。ニックネームはアイスマン。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「キミライコネン」の解説

キミ ライコネン
Kimi Räikkönen
F1;ラリー

F1ドライバー;ラリードライバー
生年月日:1979年10月17日
国籍:フィンランド
出生地:エスポー
経歴:1987年カートレースでドライバーデビュー。のち4輪レースにデビューし、’99年、2000年のフォーミュラ・ルノー・チャンピオン。フォーミュラ・レース23戦の経験ながら、2000年F1チーム・ザウバーのテストを受け契約。当初テストライセンスの発給さえ危ぶまれたが、テスト経過を見て国際自動車連盟(FIA)がスーパーライセンスを発給。F3未経験のF1ドライバーとして大きな注目を集める。2001年デビュー戦のオーストラリアGPでいきなり6位入賞を果たすなど活躍し、同年は総合9位。2002年マクラーレンへ移籍し、総合6位。2003年第2戦マレーシアGPで初優勝、総合2位。2004年総合7位、2005年総合2位、2006年は未勝利で総合5位。2007年皇帝ミハエル・シューマッハーが引退したフェラーリに移籍。10月最終戦のブラジルGPで、総合トップに立っていたルイス・ハミルトン(マクラーレン)、2位フェルナンド・アロンソ(同)をかわして6勝目を挙げ、僅か1ポイント差で初の年間王者となった。しかし2008年は2勝で総合3位、2009年は1勝で総合6位に終わり、契約を1年残してフェラーリを離脱。一方、もともとラリーが好きで、2009年F1レースの合間にラリーレースに出場、世界ラリー選手権(WRC)のラリー・フィンランドでWRCデビューも果たす。2010年からF1休戦をして、シトロエン・ジュニアチームからWRCに参戦し、同年総合10位。2012年ロータス(現・ケータハム)と契約してF1に復帰、アブダビGPで優勝するなど総合3位に入った。2013年は開幕戦のオーストラリアGPで優勝(総合5位)。2014年古巣のフェラーリに復帰予定。175センチ、62キロ。ニックネームはアイスマン。

出典 日外アソシエーツ「最新 世界スポーツ人名事典」最新 世界スポーツ人名事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android