キロンボ
quilombo
植民地期ブラジルの白人社会を脅かし続けた逃亡奴隷社会。1570年以降,黒人奴隷の輸入増大に伴ってブラジル北部のバイア,ペルナンブコ地方に拡大し,18世紀にはサン・パウロ,ミナス・ジェライス地方へと広まり,1888年の奴隷解放にいたるまでブラジル各地に存在した。なおキロンボは17世紀初めまではモカンボmocamboと呼ばれた。キロンボは密林地帯や山間僻地に矢来と堀で防備を固めた50軒ないし数千軒から成る閉鎖的な集落で,農耕・狩猟・漁労に従事するかたわら,白人居住地やプランテーションを襲撃し,武器,衣類,道具類,女性を確保した。大半のキロンボは短命に終わったが,1694年まで約90年間続いたペルナンブコの〈パルマーレスPalmares共和国〉や,18世紀末ミナス・ジェライスで10集落2万人を擁した奴隷王国も知られている。なおパレンケPalenqueと呼ばれたスペイン領植民地の逃亡奴隷社会は,カリブ海地域,大陸部熱帯地域を中心に形成され,西半球最大のパレンケとして知られたスリナムの黒人王国のように,今日もなお自治権を保持しているものもある。
→シマロン
執筆者:清水 透
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
キロンボ
きろんぼ
Quilombo
1570年以降、黒人奴隷の輸入増大とともにブラジル内陸部に拡大した逃亡奴隷社会の総称。17世紀末までは同国北部のバイア、ペルナンブコ地方に、18世紀にはサン・パウロからミナス・ジェライス地方へと広がり、1888年の奴隷制廃止によって消滅するまで、植民地白人社会の最大の脅威であった。農耕、狩猟、漁労に従事するかたわら、白人居住地を襲撃し、武器、道具類を奪い、女性を連れ去った。大半のキロンボは短命に終わったが、1694年に崩壊するまで約90年間王制を維持したペルナンブコの「黒人共和国」や、18世紀末にミナス・ジェライスで10集落2万人を擁した奴隷王国も知られている。なお17世紀初期まではモカンボとよばれ、スペイン領ではパレンケの名で知られた。
[清水 透]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内のキロンボの言及
【シマロン】より
…その分布はメキシコ最北端からペルー,エクアドルの太平洋岸に至るインディアスのほぼ全域にわたるが,中心は奴隷労働力が集中的に導入されたカリブ海地域,コロンビア,ベネズエラ,中米の海岸地帯,およびブラジルの海岸地帯と熱帯内陸部である。シマロンの多くは短期間のうちに連れ戻され,アキレス腱切断から四肢切断,宮刑,死刑にいたる厳罰に処せられたが,熱帯密林地帯や山間僻地にパレンケ(スペイン領),[キロンボ](ブラジル)と呼ばれるシマロン社会を形成し,19世紀の奴隷制廃止にいたるまで植民地の白人社会に脅威を与え続けた例も少なくない。【清水 透】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」