日本大百科全書(ニッポニカ) 「キーロフ暗殺事件」の意味・わかりやすい解説
キーロフ暗殺事件
きーろふあんさつじけん
1934年12月1日、ソ連共産党政治局員兼書記でレニングラード州委員会第一書記のキーロフが、レニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)の党本部内でニコラーエフという青年に射殺された事件。これは、ジノビエフ反対派によるテロ行為であると発表され、すでに政治的影響力を失っていたジノビエフ、カーメネフら旧ジノビエフ反対派の指導者の逮捕に始まるスターリンの「大粛清」のきっかけとされた。現在、これがでっちあげであることは明らかだとされているが、この事件の背景については不明の点が多い。殺害者を含め、事件の関係者はすべてその後抹殺されている。フルシチョフは1956年の「秘密報告」のなかで、背後にスターリンの意志があったことをほのめかしている。キーロフはもともとスターリン派として、1926年、ジノビエフ派の影響下にあったレニングラード党組織を引き継いだ。しかし、「勝利者の大会」とよばれ、スターリン個人への賛辞が大きかった34年初めの第17回党大会の裏面では、スターリンの権力の制限を目ざし、より穏健な路線をとるキーロフを擁立する強力な動きがあったとされている。この事件はスターリンの地位をさらに強化したといえる。
[藤本和貴夫]