皇帝党と訳す。中世のイタリアをグェルフ党(教皇党)とともに二分した政治党派。この名称は、ドイツのホーエンシュタウフェン家の城ワイプリンゲンWaiblingenに由来し、1197年のハインリヒ6世の死後、神聖ローマ帝国支配の継承をめぐって、同家のシュワーベン公フィリップやフリードリヒ2世とウェルフ家のオットー4世とのそれぞれの支持者が争った際、ワイプリンゲンのイタリア訛(なま)りとしてトスカナ地方に導入された。皇帝フリードリヒ2世とローマ教皇とが争った13世紀中ごろに、皇帝支持者をこの名称でよび、教皇支持者をグェルフ(ウェルフの訛り)党とよぶ呼称が年代記などで定着した。のちにこの呼称が中部・北イタリアに広がり、地方的利害による市民間、都市間、君主間の対立関係をも示すことばとなった。なかでもミラノのビスコンティ家、ベローナのデルラ・スカラDella Scala家が有名で、反対党から専制君主制の主唱者と批判される。皇帝待望の書といわれるダンテの『帝国論』は、この党派の主張を表す一例である。
[佐藤眞典]
春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...