クリミア・タタール人(読み)クリミア・タタールじん(その他表記)Crimean Tatars

共同通信ニュース用語解説 「クリミア・タタール人」の解説

クリミア・タタール人

ウクライナ南部クリミア半島に居住してきたトルコ系民族。15~18世紀に栄えたクリム・ハーン国の流れをくむ。オスマン帝国の保護国だったが、18世紀後半に帝政ロシアに滅ぼされた。ソ連の独裁者スターリンが支配した第2次大戦中、ナチス・ドイツに協力したとの嫌疑をかけられ、中央アジアシベリア強制移住させられた。1980年代後半からクリミアへの帰還が進んだが、苦しい生活が続いた。2014年のロシアによる半島の併合に反対した。(イスタンブール共同)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クリミア・タタール人」の意味・わかりやすい解説

クリミア・タタール人
クリミア・タタールじん
Crimean Tatars

ロシア各地に散在するタタール民族の1つ。スターリンは第2次世界大戦時の対独戦争における利敵行為を理由に,1944年他民族とともに 20万人以上のクリミア・タタール人を中央アジアへ強制移住させた。彼らは,スターリン死後,民族の名誉回復とクリミア復帰の運動を展開し,旧ソ連社会における人権問題の象徴となった。ゴルバチョフ政権下の 87年,3000人以上のタタール人が赤の広場にすわり込み,クリミア (ロシア語ではクルイム) 帰郷とタタール人による自治共和国の再興を要求したが,翌年,却下された。その後,クリミアにロシア人住民によるクルイム自治共和国が成立したこと,エリツィン大統領がクリミアをウクライナ領と認めたことから,クリミア・タタール人の願いは依然として実現していない。

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