グエンフエ(英語表記)Nguyen Hue

改訂新版 世界大百科事典 「グエンフエ」の意味・わかりやすい解説

グエン・フエ
Nguyen Hue
生没年:1752-92

ベトナムのレ(黎)朝末期に起きたタイソン(西山)党革命の指導者。阮恵(げんけい),グエン・バン・フエ(阮文恵)とも呼ぶ。旧姓はホ(胡)。2人の兄とともに1771年クイニョン(帰仁)近郊のタイソンにグエン(阮)姓を名のって蜂起,封建領主グエン氏に対する地主農民の不満を背景に大規模な農民戦争を起こした。77年北方の領主チン(鄭)氏と結んでグエン氏を滅ぼした後,長兄グエン・ニャク(阮岳)の命を受けて北上し,短時日の間にソンコイ川(紅河)流域を占領,86年にはチン氏を滅ぼしてレ朝の顕宗に入朝,その公主を降嫁させて政権を握り,タイソン党革命軍による国土統一を果たした。顕宗没後を継いだ愍帝が87年,タイソン党政権を覆すために清国の乾隆帝に援助を要請し,清国軍のハノイ侵攻が行われると,グエン・フエは自ら皇帝に即位,光中と改元,救国義軍を組織して抗戦し,89年に清国軍を国外に撃退した。同時に愍帝を北京に亡命させてレ朝を滅亡させ,タイソン朝による新体制の確立を試みてベトナムに近世史到来の光を与えた。しかし兄弟間の確執はタイソン朝の崩壊を早め,グエン・フエの死後その政権は急速に力を失い,1802年旧領主グエン氏の血統を継ぐグエン・フックアイン阮福映)によってベトナムは再統一された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のグエンフエの言及

【タイソン党革命】より

…クアンナム・グエン(阮)氏の旧敵でハノイのチン(鄭)氏は,これに呼応してフエを陥落させ,78年,クアンナムのディンブオン(定王)は南部に亡命,客死した。グエン・フエはさらに83年,南部に拠るグエン・フォック・アイン(阮福暎。後のザロン帝)軍を駆逐し,86年には北進してハノイのチン氏を滅ぼし,ベトナムの統一支配に成功した。…

※「グエンフエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android