グエン・フー・ト(読み)ぐえんふーと(英語表記)Nguyen Huu Tho

日本大百科全書(ニッポニカ) 「グエン・フー・ト」の意味・わかりやすい解説

グエン・フー・ト
ぐえんふーと
Nguyen Huu Tho
(1910―1996)

ベトナム政治家フランス法律を学び、出身地サイゴン(現ホー・チ・ミン市)で弁護士開業。1950年と1954年に反米・反政府活動を組織して投獄されたが、1961年脱獄し解放区入り。1962年南ベトナム解放民族戦線議長、1969年臨時革命政府設立とともに同政府諮問協議会議長に就任。1976年南北ベトナム統一に際し副大統領、1980年タン大統領の死去で大統領代行。1981年国家評議会副議長(副大統領に相当)兼国会議長。1992年ベトナム祖国戦線中央委員会幹部会議長に就任。

[黒柳米司]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グエン・フー・ト」の意味・わかりやすい解説

グエン・フー・ト
Nguyên Huu Tho

[生]1910.7.10. チョロン
[没]1996.12.24. ホーチミン市
ベトナムの政治家。 1930年代にフランスに留学。サイゴン (現ホーチミン市) で弁護士を開業。 47年から抗仏闘争に参加,50年3月アメリカの対仏軍事援助反対デモを指導して逮捕,入獄,52年出獄した。 54年サイゴンのチョロン地区平和委員会を設立し副議長となるが,まもなくゴ・ジン・ジェム政府によって逮捕された。釈放後 62年南ベトナム解放民族戦線中央委員会幹部会議長,69年6月臨時革命政府樹立とともに諮問評議会議長。 76年4月統一国民議会選挙に当選,同年7月ベトナム社会主義共和国副大統領に就任。 80年3月トン・ドク・タン大統領の死により大統領代行。 81年から国会議長,国家評議会副議長,ベトナム祖国戦線中央委員会幹部会議長,同戦線名誉議長を歴任

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

20世紀西洋人名事典 「グエン・フー・ト」の解説

グエン・フー・ト
Nguyen Huu Tho


1910.7.10 -
ベトナムの政治家。
元・南ベトナム解放民族戦線議長,ベトナム社会主義共和国国会議長。
サイゴン生まれ。
フランスに留学し法律を学ぶ。帰国後、出身地サイゴンで弁護士を開業。反米、反政府活動を組織し、’50年および’54年に投獄される。’61年脱獄し、解放区に入る。’62年南ベトナム解放民族戦線議長となり,’69年臨時革命政府設立と同時に同政府諮問協議会議長。’76年南北ベトナム統一がなされ、副大統領となる。’80年タン大統領が死去したため大統領代行をつとめる。’81年国家評議会副議長兼国会議長となる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「グエン・フー・ト」の意味・わかりやすい解説

グエン・フー・ト

ベトナムの革命運動指導者,弁護士。フランスに留学。1947年から反仏抵抗運動に参加,1954年―1961年投獄され,1962年南ベトナム解放民族戦線結成に参加し中央委員会幹部会議長。ベトナム戦争終結後は,1976年ベトナム社会主義共和国(統一ベトナム)副大統領,1981年国会議長兼国家評議会副議長。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android