日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベケット」の意味・わかりやすい解説
ベケット(Samuel Beckett)
べけっと
Samuel Beckett
(1906―1989)
アイルランドの劇作家、小説家。ダブリン生まれ。トリニティ・カレッジ卒業後、パリの高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)講師となり(1928~1930)、このときジョイスを親しく知る。最初の単行本はデカルトを主人公にした独白体の詩『ホロスコープ』(1930)。母校の講師として帰国、『プルースト論』(1931)を出版するが、1932年旅先から辞表を送って、ロンドンやドイツ各地を放浪する。連作短編小説集『蹴(け)り損の棘(とげ)もうけ』(1934)、長編小説『マーフィ』(1938)はイギリス文壇に認められず、1938年以後はパリに定住。ドイツ軍占領下のパリでレジスタンスに参加、またジョイス一家の出国を助ける。1942年、ゲシュタポの手を逃れて、妻とともに南フランスに隠れ、農村で小説『ワット』(出版は1953年)を書き続ける。
第二次世界大戦後、赤十字に志願して病院で働く。パリに戻ってフランス語で書き始め、長編小説三部作『モロイ』(1951)、『マロウンは死ぬ』(1951)、『名づけえぬもの』(1953)を完成。自我、心身、言語、物語の問題を極限まで追求したこの記念碑的作品執筆の合間に、いわば「息抜き」として戯曲『ゴドーを待ちながら』(1952)を書き、その上演で一躍有名になる。以後、全編句読点のない長編小説『事の次第』(1961)のほかは、小説とよべる作品はなく、ごく短い断片的散文が間歇(かんけつ)的に発表されるのみである。
劇作品としては、車椅子(くるまいす)の盲人を主人公として終末論的主題を展開した『勝負の終り』(1957)、テープレコーダーを小道具に使った一人芝居『クラップの最後のテープ』(1958)、土中に埋もれた女主人公のおしゃべりで成り立つ『しあわせな日々』(1961)、骨壺(こつつぼ)から首を出した男女2人による『芝居』(ドイツ初演1963年)など。テレビドラマ『ねえジョウ』(1966)や、ラジオドラマ『言葉と音楽』(1962)、映画台本『フィルム』(1964年にキートン主演で映画化)もある。
1969年ノーベル文学賞受賞。一作ごとに前人未踏の形式を創造し、現代人の孤独な意識のありようを、残酷さと憐憫(れんびん)、笑いと絶望の混じった視線で見つめてきたこの作家は、晴れがましい授賞式には出席しなかった。その後も、伝説的な社交嫌いの壁によって身を守り、眼病に耐えながら、極小のうちに極大を、単純さのなかに複雑さをたたえた作品を発表し続け、20世紀のもっとも重要な作家の一人と目されている。とくに戯曲においては、暗闇(くらやみ)のなかで唇だけがライトを浴びて独白する『わたしじゃない』(1972)、無言の老人に彼自身の過去を語る三つの声が襲いかかる『あのとき』(1976)、瓜(うり)二つの2人の老人が演じる『オハイオ即興劇』(1981)、弾圧されたチェコスロバキアの作家のために書かれた『カタストロフィ』(1982)などの上演は、そのたびに話題をよび、史上まれな高齢の現役作家ぶりを示した。英語とフランス語の両方で創作し、自作を翻訳するという点でも、特異な作家である。
[高橋康也]
『安堂信也・高橋康也訳『ベケット戯曲全集』全2巻(1967・白水社)』▽『安堂信也訳『モロイ』(1969・白水社)』▽『川口喬一訳『マーフィー』(1971・白水社)』▽『川口喬一訳『蹴り損の棘もうけ』(1972・白水社)』▽『高橋康也訳『ワット』(1972・白水社)』
ベケット(Thomas à Becket)
べけっと
Thomas à Becket
(1118ころ―1170)
イギリスのカンタベリー大司教(1162~1170)。ロンドン商人の子。カンタベリー大司教シアボールドTheobald(1090ころ―1161)に仕え、のちヘンリー2世に仕えて、信任厚く、1155年大法官となる。シアボールドの死後、ヘンリー2世の教会裁判権規制政策の実現を期待されて大司教に叙任されたが、王が1164年のクラレンドン法によって教会裁判権を規制しようとしたのに反対し、同年王への上納金を拒否して王と対立、フランスに亡命。1170年に和解して帰国したが、王に協力した聖職者を破門してふたたび王を怒らせた。同年末王側近の4人のナイトによってカンタベリー大聖堂内で殺害された。1173年聖者とされ、彼の墓には巡礼者が絶えなかった。チョーサー作『カンタベリー物語』は、その巡礼を題材にしたものである。
[富沢霊岸 2017年12月12日]