最新 世界スポーツ人名事典 「ケングリフィー」の解説
ケン(Jr.) グリフィー(ケン グリフィー)
Ken(Jr.) Griffey
大リーグ
生年月日:1969年11月21日
国籍:米国
出生地:ペンシルベニア州ドノーラ
別名等:本名=George Kenneth(Jr.) Griffey
学歴:モエラー高卒
受賞歴:MVP(アリーグ)〔1997年〕;カムバック賞(ナリーグ)〔2005年〕;歴史的偉業賞〔2011年〕
経歴:父は大リーグ・レッズのビッグレッドマシンの一員として活躍した名選手ケン・グリフィー・シニア。1987年17歳でドラフト1巡目全体1位で指名され、マリナーズに入団。’89年4月19歳でメジャーデビューし、プロ初ヒットは本塁打。大リーグ最年少選手としてシーズンに臨み、7月末から怪我で一時欠場するまで打率.287、13本塁打、45打点と活躍。その打撃力はもちろん、親しみやすい笑顔と美しいスイングで人気者に。’90年8月父がレッズからマリナーズに移籍し、大リーグ史上初の同チームで同時期にプレーする父子選手に。9月対エンゼルス戦では父子連続本塁打を放って話題になった。11月日米野球で来日。’93年大リーグ最多タイ(3人目)となる8試合連続本塁打を記録するなど45本塁打をマーク。’94年はストライキのため111試合で終わったが、40本塁打で初タイトルを獲得。’96年5月史上7番目に若い26歳で通算200号を達成。’97年は56本塁打、147打点で2冠王となり、MVPを獲得した。オフには4年契約3400万ドルの当時史上最高額で契約を結ぶ。’98年も56本で2年連続の本塁打王。146打点(3位)は史上初の3年連続140打点以上となった。’99年5月対ヤンキース戦で史上最速29歳5ケ月余りで、ジョー・ディマジオの生涯通算本塁打に並ぶ361本塁打を放つ。同年11月大リーグ選手会により“’90年代MVP”に選ばれる。2000年2月父がコーチを務めるレッズに移籍。父の50歳の誕生日だった4月10日、対ロッキーズ戦で大リーグ史上最年少(30歳と141日)の400号本塁打を達成。2002年6月対マリナーズ戦で2000本安打を達成。2004年6月対カージナルス戦で500本塁打を達成。2006年第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に米国代表として出場し、ベストナインに選出される。2008年6月対マーリンズ戦で大リーグ史上6人目の通算600本塁打を達成。同年シーズン途中でホワイトソックスに移籍。2009年、10年ぶりにマリナーズへ復帰し、イチローとチームメイトに。2010年5月シーズン途中で現役を引退。通算成績は、22年2671試合出場、9801打数2781安打、630本塁打、1836打点、打率.284。MVP1回(1997年)、本塁打王4回(’94年,’97年,’98年,’99年)、打点王1回(’97年)、最多得点1回(’97年)。ゴールドグラブ賞10回(’90〜99年)、シルバースラッガー賞7回(’91年,’93年,’94年,’96〜99年)。オールスターには’90年から11年連続、通算13回選出され、9回出場。’92年オールスターMVP。’96〜99年アリーグのファン投票で最多得票を獲得。フェンス激突も恐れぬ果敢で躍動的な守備でもファンの心をとらえた。マリナーズを観客動員200万人以上という人気球団にし、弱小チームを2度の地区優勝(’95年,’97年)に導くなど、’90年代の大リーグを代表するスーパースターとして活躍したが、ワールドシリーズ出場は一度もなかった。バリー・ボンズやマーク・マグワイアといった他のスラッガーが薬物使用で騒がれる中、薬物の噂が一切出ない唯一クリーンなパワーヒッターとしても称賛された。
出典 日外アソシエーツ「最新 世界スポーツ人名事典」最新 世界スポーツ人名事典について 情報