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秋田明大 あきた あけひろ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

秋田明大 あきた-あけひろ

1947- 昭和時代後期の学生運動家。
昭和22年1月2日生まれ。43年日大当局の経理不正問題をきっかけにおきた大学闘争で日大全学共闘会議議長となり,東京両国の日大講堂で3万人参加の大衆団交を指導。44年逮捕されたが,獄中で全国全共闘副議長にえらばれた。のち郷里の広島県で自動車整備工場を経営。日大中退。著作に「獄中記」「幻視行」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

秋田明大
あきたあけひろ
(1947― )

1960年代後半に活動した全共闘運動活動家。広島県倉橋島(現呉(くれ)市)出身。日本大学全学共闘会議(日大全共闘)議長、全国全共闘連合副議長。
 1968年(昭和43)、国税局が摘発した日大当局の22億円の使途不明金問題をきっかけとして日大闘争は火を噴いた。東京・神田の経済学部校舎前から自然発生的に起こった「200メートルデモ」は、やがて「数万の大軍」に成長する。同大学経済学部の一学生にすぎなかった秋田は、いつの間にかこのデモの先頭にいた。日大当局のこの不詳事件は理工学部教授の裏口入学3000万円謝礼事件、私設警備員へのヤミ給与問題、経理課長失踪・ベテラン経理課員自殺事件へと発展し、「古田重三良(じゅうじゅろう)(1901―1970。当時日大会頭)を倒せ!」の掛け声で展開された日大の運動は、全国学生運動の共感を呼んだ。事件の背景・深層には、高度成長時代に大学生が100万名を突破し、やがて大学卒人数が中学卒人数を上回るという世界に例を見ないような事態のなかで、日大学生数が8学部11万名にふくれ上がり、超マスプロ私学経営とマスプロ授業を余儀なくされるという、学内における矛盾の存在にあった。そのうえ、「体育会系右翼学生教職員による日大アウシュビッツ体制」といわれた暴力による学内強権支配に対する不満と憤激が広く存在していた。秋田は語っている。「あらゆる人間的な要求や希望を踏みにじられた地点から…また、過去の如何なる経験や運動とも無縁な『未開の聖域』からの闘いであった」(『大学占拠の思想』(1969))。
 日大闘争は、学問の自由、学園の自治、人間解放を掲げた「学園民主化闘争」であった。大学側は職員・体育会系・私設ガードマンを動員して校舎をロックアウトして対抗。経済学部から始まった闘争は、たちまち全学部に波及し、全学総決起集会の開催へと発展。「理事総退陣、経理公開、集会の自由、不当処分撤回」などの5大スローガン9項目要求を掲げて、1968年5月日大全共闘が結成され、秋田は議長に選出された。その後、4か月間の攻防戦を経て9月30日に日大両国講堂で全学集会が開催され、そのまま大衆団交(学生3万5000名が参加)に移行、秋田はそこで執行部として主役を演じた。その結果、日大全共闘は会頭古田以下全理事との確認書を交わし、闘争は学生側の全面勝利に終わったかに見えた。ところが、翌日の閣僚懇談会において会頭古田の盟友であった首相佐藤栄作が「大衆団交は集団暴力である」と発言したことを境に事態は急変、秋田を含めた日大全共闘指導部8名の逮捕状が出され、機動隊によって大学のバリケード封鎖が解除され、1969年春、授業再開が強行された。
 1969年、秋田は潜伏半年後に公務執行妨害などの容疑で逮捕・拘留された。その間に全国全共闘連合が結成され、秋田は獄中で副議長に選ばれ、全共闘運動を象徴する活動家として学生運動史に名をとどめた。当時の秋田は野性的風貌も併せて若者にとっては憧れの存在でもあった。「佐世保で闘っていた頃の僕にとって、日大闘争を闘ったあなたは英雄でした」(村上龍)、秋田たちが同世代に向けて発した闘いへのメッセージは「僕と同じ純粋戦後派の書いた最も美しい文章……。君の第二の人生も、君自身が開こうとするなら、必ず君を待っている」(沢木耕太郎)とも評された。1970年安保・沖縄返還・全共闘運動停滞後は、街頭で自作の詩集『幻視行』(1970)を売ったり、映画『ピーターソンの島』(1975。東由多加(ひがしゆたか)(1945―2000)監督)に主演したり、1976年には『あほう鳥』というレコードを吹き込むなどの遍歴の後、つきまとう「日大全共闘議長」という偶像への視線を絶つかのように、29歳のとき帰郷。広島県呉市内で親戚が経営する自動車工場で10年間働いて独立、倉橋島音戸(おんど)町(現呉市)で自動車整備工場を営み、以後は沈黙を守る。東大全共闘代表の山本義隆と常に並び称されるが、両者は多くを語らない点で共通している。編著書に『獄中記』(1969)などがある。[蔵田計成]
『『獄中記』(1969・全共社) ▽『幻視行』(1970・私家版) ▽秋田明大編『大学占拠の思想』(三一新書) ▽立花隆著「実録・山本義隆と秋田明大」(『文芸春秋』1969年10月号所収・文芸春秋)』

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