アームストロング(読み)あーむすとろんぐ(英語表記)Louis Armstrong

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アームストロング」の意味・わかりやすい解説

アームストロング(Neil Alden Armstrong)
あーむすとろんぐ
Neil Alden Armstrong
(1930―2012)

アメリカの元宇宙飛行士。8月5日オハイオ州ワパコネタに生まれる。少年のころから空を飛ぶことに非常に興味を覚え、現役中ずっと飛行技術の向上に熱中した。高校卒業後、海軍に入隊し、1949~1952年ジェット戦闘機のパイロットを務める。この間、朝鮮戦争にも従軍。1952年海軍退役後、航空宇宙工学の名門パーデュー大学に入り、1955年航空専攻工学士の資格を取得。同年アメリカ航空諮問委員会(NACA。現、アメリカ航空宇宙局=NASA(ナサ))のルイス航空推進研究所(後のNASAルイス研究センターを経てグレン研究センター)にエンジニア兼テストパイロットとして就職。その後エドワーズ空軍基地内のNASA飛行センター(後のドライデン飛行研究センター)で超音速飛行の訓練を受ける。この間、母機B-52から発進したX-15を操縦して高度63.2キロメートルおよびマッハ5.74を達成した。1962年2月20日グレンJohn Herschel Glenn(1921―2016)のアメリカ初の地球3周飛行達成に触発され宇宙飛行士に応募、同年宇宙飛行士に選抜され、ヒューストンの有人飛行センター(後のジョンソン宇宙センター)に移った。

 1966年3月16日船長として、スコットDavid Randolph Scott(1932― )とともに2人乗り宇宙船ジェミニ8号に乗り、同日先に打ち上げられ軌道飛行中のアジェナ標的船と史上初のドッキングに成功した。1969年7月16日には、世界最大のサターンⅤ型ロケットで打ち上げられた3人乗り宇宙船アポロ11号に、船長として、オルドリンEdwin Eugene Aldrin Jr.(1930― )、コリンズMichael Collins(1930―2021)とともに搭乗。同月20日、母船から切り離された月着陸船イーグルにオルドリンとともに乗った彼は、人類初の月面着陸に成功した。その後約2時間半の活動を行ったのち、月周回中のコリンズ搭乗の母船コロンビアに移って地球へ無事帰還。月面に最初に降りた彼は「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」という名言を残した。

 1971年NASAを引退後、1979年までシンシナティ大学航空宇宙工学教授。その後、宇宙関連企業の役員を歴任。この間、1986年大統領諮問委員会の副委員長としてスペースシャトルチャレンジャーの爆発事故の調査に携わる。また、エレクトロニクス・メーカーのAILシステムズ社の会長などを務めたが、2002年に実業界から引退した。1969年(昭和44)日本において外国人としては初の文化勲章を、1970年にはパーデュー大学名誉博士号を授与された。1999年には同大学航空宇宙工学科が卒業生のなかから顕著な業績をあげ貢献した者を表彰する制度Outstanding Aerospace Engineers Awardの受賞者に選ばれた。

[久保園晃]

『ニール・アームストロング、マイケル・コリンズ、エドウィン・E・オルドリンJr.著、日下実男訳『大いなる一歩――アポロ11号全記録』(1973・早川書房)』『岸本康著『月面は粉のようだ』(1969・明文社)』『木村繁著『人類月に立つ』(1969・朝日新聞社)』『毎日新聞社編『人類が月を歩いた――アポロ11号の全記録』(1969・毎日新聞社)』『バズ・オルドリン、マルカム・マコネル著、鈴木健次・古賀林幸訳『地球から来た男――宇宙への挑戦』(1992・角川書店)』『アンドルー・チェイキン著、亀井よし子訳『人類、月に立つ』上下(1999・日本放送出版協会)』『中富信夫著『アメリカ宇宙開拓史』(新潮文庫)』『Space Log Vol.32 1957-1996(1997, TRW)』『Outstanding Aerospace Engineer(1999, Purdue University)』


アームストロング(Edwin Howard Armstrong)
あーむすとろんぐ
Edwin Howard Armstrong
(1890―1954)

アメリカの電気工学者。ニューヨーク生まれ。コロンビア大学在学中、ピューピンの指導を受け、無線技術を研究、1914年三極管を用いた負フィードバック回路を考案した。この発明をめぐってド・フォレストと無線技術史上有数の激烈な特許紛争に巻き込まれ、一度は勝ったが最高裁判所判決(1928)で敗れた。第一次世界大戦中は陸軍通信隊将校としてフランスで無線通信を研究、短波増幅の目的で発明したスーパーヘテロダイン回路はラジオ受信器の感度と安定性を著しく高めた。大戦後帰国し、1921年には超再生受信法を考案、RCA社(1985年ゼネラル・エレクトリック社が買収)に特許を売却、関連する特許で富をなした。1939年には画期的な周波数変調方式(FM)を発明したが、アメリカのラジオ産業界はFM導入を拒否、加えて連邦通信局の政策や第二次世界大戦などのためFMの普及は遅れた。一方、RCA社との特許侵害の訴訟もあり、疲労困憊(こんぱい)し、貧困状態で自殺した。1934年コロンビア大学教授についたほか、エジソン賞などを受賞、獲得特許は42件に及んだ。

[木本忠昭]


アームストロング(William George Armstrong)
あーむすとろんぐ
William George Armstrong
(1810―1900)

イギリスの機械技術者。アームストロング砲の発明者。ニューカッスルに生まれ、ロンドンで法律を学び、初め弁護士となったが、科学の実験に興味をもち、蒸気力による発電機を考案したりした。1847年に法律を断念し、タイン河畔のウェルスウィックの小工場に入り、その共同出資者となって経営を指導、企業は盛大となった。1846年にはすでに水圧クレーンを発明製作し、1850年には水力蓄積機(水力アキュミュレーター)を発明、これはクレーン、リフトその他の機械の操作に広く応用された。

 クリミア戦争(1853~1856)によって彼の注意は大砲に向けられ、1855年にいわゆるアームストロング砲を発明した。従来の鋳鉄や青銅の大砲では破裂圧が低かったので、内部の鋼製の胴に金属リングを焼きばめし、のちには錬鉄のストリップを長いつるまき線に巻いて、これを管状に溶接した。また、先のとがった砲弾を用いることにも成功した。アームストロング砲はクリミア戦争で威力を発揮し、後の日清(にっしん)・日露戦争では日本海軍に勝利をもたらした。

 1859年にはウーリッジ兵器廠(しょう)長官となり、ナイトに叙せられた。1863年にもとの工場に戻り、大砲製作用の強力な水力機械を設計した。彼の会社はのちにビッカース社と合併し、ビッカース・アームストロング社(のちにビッカースとなり、ロールス・ロイス社の傘下企業となった)となり、ヨーロッパではクルップ社(現、ティッセン・クルップ社)に次ぐ兵器の大企業となった。

山崎俊雄


アームストロング(Louis Armstrong)
あーむすとろんぐ
Louis Armstrong
(1900―1971)

アメリカのジャズ・トランペット奏者、歌手。ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。1922年シカゴに進出して注目され、1925年から数年間ホット・ファイブおよびホット・セブンの名称でジャズ史上不滅の名演レコードをつくった。比類なきソロイストであり、ジャズのあらゆる面に多大の影響を及ぼした。とくに、アンサンブル中心であったジャズをアドリブ・ソロ中心とし、新しい道を開いた功績は大きい。またジャズ・ボーカルの始祖であり、意味のないことばの即興歌唱、スキャットを初めて1926年に録音した。愛称の「サッチモ」SatchmoはSatchel Mouth(鞄(かばん)のような大口)の略。

[青木 啓]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アームストロング」の意味・わかりやすい解説

アームストロング
Armstrong, Lance

[生]1971.9.18. テキサス,プレーノ
アメリカ合衆国の自転車競技選手(→自転車競技)。ツール・ド・フランスで 7連覇(1999~2005)という前人未到の記録を打ち立てたが,ドーピング(禁止薬物使用)を理由に記録を抹消された。少年時代からトライアスロンや水泳の競技会に出場。高等学校在学中,アメリカ自転車競技連盟 USCFのジュニア・ナショナルチームの選手に選ばれ,ジュニア世界選手権大会に出場,1990年全米アマチュア選手権大会で優勝した。1992年プロに転向。1996年精巣腫瘍と診断される。選手生活への復帰を目ざし闘病を続け,1998年発病後初めての重要なレースであるツール・ド・ルクセンブルクで優勝を果たす。1999年ツール・ド・フランスでアメリカ人 2人目となる優勝を飾る。続く 2000,2001,2002年にも持ち前の山岳ステージでの強さを武器にして優勝。2003年には衝突や病気といったアクシデントにもかかわらずツール・ド・フランス 5連覇を達成,ミゲル・インデュラインの記録に並んだ。2004年に 6連覇してインデュラインの記録を更新し,2005年に 7連覇を達成したあと,引退を表明。癌の撲滅運動にも身を投じ,ランス・アームストロング財団を設立した。2012年,数々のドーピング疑惑の中心人物だったとするアメリカ反ドーピング機関 USADAの調査結果が公表され,全タイトルを剥奪,自転車競技界から永久追放された。2000年にサリー・ジェンキンズと共著の自伝『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』It's Not About the Bike: My Journey Back to Lifeを発表した。

アームストロング
Armstrong, Neil

[生]1930.8.5. オハイオ,ワパコネタ
[没]2012.8.25. オハイオ,シンシナティ
アメリカ合衆国の宇宙飛行士。1969年7月20日,史上初の月面着陸に成功した宇宙船アポロ11号(→アポロ計画)の船長。1969年7月16日,マイケル・コリンズ,エドウィン・E.オルドリン・ジュニアとともに地球を出発。人類として初めて月面に第一歩を踏み出して「これは一人の人間にとって小さな 1歩だが,人類にとっては偉大な躍進だ」という第一声を放った。同 1969年7月24日に太平洋上に無事着水,帰還した。16歳で飛行機操縦士の免許を取得し,1947年にアメリカ海軍航空士官候補生となった。パーデュー大学で航空学を専攻中,朝鮮戦争が勃発,ジェット機操縦士として従軍。その後,全米航空諮問委員会 NACAを経て,アメリカ航空宇宙局 NASAに入り,1962年第2期宇宙飛行士の一人に選ばれた。1966年3月『ジェミニ』8号にデビット・R.スコットとともに乗り組み,標的のアジェナ衛星との初のドッキングに成功(→ジェミニ計画)。1969年大統領特使として訪日,外国人で初めて文化勲章を受章した。1971年に NASAを去り,1971~79年シンシナティ大学教授を務めた。その後,さまざまな会社の要職についた。1969年大統領自由勲章を授与された。

アームストロング
Armstrong, William George, Baron Armstrong

[生]1810.11.26. ニューカッスルアポンタイン
[没]1900.12.27. クラッグサイド
イギリスの発明家,企業家。法律を学んだが,科学実験にも興味をもち,水力起重機を発明。1847年に法律家を断念し,エルスウィックに機械工場をつくった。その後,クリミア戦争の際に大砲の改良を思い立ち,アームストロング砲を発明,1859年にはイギリス政府にその功績を認められナイトの称号を受け,政府の兵器廠の長官に就任,のち王立鋳造所長となった。1887年男爵。彼の設立した会社アームストロングは,のちにビッカーズ・アームストロングとなり,ドイツのクルップと並ぶ大兵器製造企業として,イギリス国内はもとより,全ヨーロッパに大きな影響を及ぼし,軍事史上に数多くの貢献をした。アームストロングの開発した尾栓式後装施条砲は近代的火砲の祖といわれる。

アームストロング
Armstrong, Edwin Howard

[生]1890.12.18. ニューヨーク
[没]1954.1.31./1954.2.1. ニューヨーク
アメリカの電子工学者。コロンビア大学卒業後,同大学講師。第1次世界大戦中はパリのアメリカ軍無線通信部隊の研究所に出向。第2次世界大戦中も軍関係の研究職についたが,そのほかは生涯コロンビア大学で教鞭をとった。在学当時から無線通信に関心をもち,1912年頃三極管検波器 (オーディオン) が高周波の持続波振動の発生装置となることを発見し,独自の再生回路を組立てた。さらに研究を進め,18年に高性能の「スーパーヘテロダイン受信回路」を発明,ラジオ,レーダ,テレビジョン技術の発展を促した。 33年には周波数変調装置を発明してラジオ放送技術の変革をもたらした。アメリカ無線工学会から金メダル,のちフランクリン・メダルの栄誉を受けた。

アームストロング
Armstrong, Louis (Daniel)

[生]1900.7.4. ニューオーリンズ
[没]1971.7.6. ニューヨーク
アメリカのジャズトランペット奏者,歌手。愛称サッチモ Satchmo。少年時代に少年院でコルネットを習得。 1922年シカゴでキング・オリバー楽団に参加しトランペット奏者として注目され,以後,多くのバンドを転々とした。 1920年代後半に録音された彼のホットファイブおよびホットセブンによる演奏は,ジャズ史上不朽の名演である。 32年初めてヨーロッパに遠征,47年にはオールスターズを編成,50~60年代には世界各地を巡演した。エンタテイナーとしても一流で,数多くの映画にも出演。歌手としてはスキャット唱法の創始者とされ,後期にはポピュラー曲もしばしば取上げてヒットさせた。

アームストロング
Armstrong, Henry Edward

[生]1848.5.6. ケント,ルイシャム
[没]1937.7.13. ケント,ルイシャム
イギリスの有機化学者。王立化学校で化学を学んだのち,ドイツに留学,A.コルベの指導を受け,1870年に学位を取得した。ナフタリンの置換反応に関する研究で,合成染料工業に大きく貢献した。ショウノウやテルペンの化学組成を確立。また水の浄化法,腸チフスの予防などを研究,公衆衛生の向上に尽した。

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