アメリカの元宇宙飛行士。8月5日オハイオ州ワパコネタに生まれる。少年のころから空を飛ぶことに非常に興味を覚え、現役中ずっと飛行技術の向上に熱中した。高校卒業後、海軍に入隊し、1949~1952年ジェット戦闘機のパイロットを務める。この間、朝鮮戦争にも従軍。1952年海軍退役後、航空宇宙工学の名門パーデュー大学に入り、1955年航空専攻工学士の資格を取得。同年アメリカ航空諮問委員会(NACA。現、アメリカ航空宇宙局=NASA(ナサ))のルイス航空推進研究所(後のNASAルイス研究センターを経てグレン研究センター)にエンジニア兼テストパイロットとして就職。その後エドワーズ空軍基地内のNASA飛行センター(後のドライデン飛行研究センター)で超音速飛行の訓練を受ける。この間、母機B-52から発進したX-15を操縦して高度63.2キロメートルおよびマッハ5.74を達成した。1962年2月20日グレンJohn Herschel Glenn(1921―2016)のアメリカ初の地球3周飛行達成に触発され宇宙飛行士に応募、同年宇宙飛行士に選抜され、ヒューストンの有人飛行センター(後のジョンソン宇宙センター)に移った。
1966年3月16日船長として、スコットDavid Randolph Scott(1932― )とともに2人乗り宇宙船ジェミニ8号に乗り、同日先に打ち上げられ軌道飛行中のアジェナ標的船と史上初のドッキングに成功した。1969年7月16日には、世界最大のサターンⅤ型ロケットで打ち上げられた3人乗り宇宙船アポロ11号に、船長として、オルドリンEdwin Eugene Aldrin Jr.(1930― )、コリンズMichael Collins(1930―2021)とともに搭乗。同月20日、母船から切り離された月着陸船イーグルにオルドリンとともに乗った彼は、人類初の月面着陸に成功した。その後約2時間半の活動を行ったのち、月周回中のコリンズ搭乗の母船コロンビアに移って地球へ無事帰還。月面に最初に降りた彼は「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」という名言を残した。
1971年NASAを引退後、1979年までシンシナティ大学航空宇宙工学教授。その後、宇宙関連企業の役員を歴任。この間、1986年大統領諮問委員会の副委員長としてスペースシャトル・チャレンジャーの爆発事故の調査に携わる。また、エレクトロニクス・メーカーのAILシステムズ社の会長などを務めたが、2002年に実業界から引退した。1969年(昭和44)日本において外国人としては初の文化勲章を、1970年にはパーデュー大学名誉博士号を授与された。1999年には同大学航空宇宙工学科が卒業生のなかから顕著な業績をあげ貢献した者を表彰する制度Outstanding Aerospace Engineers Awardの受賞者に選ばれた。
[久保園晃]
『ニール・アームストロング、マイケル・コリンズ、エドウィン・E・オルドリンJr.著、日下実男訳『大いなる一歩――アポロ11号全記録』(1973・早川書房)』▽『岸本康著『月面は粉のようだ』(1969・明文社)』▽『木村繁著『人類月に立つ』(1969・朝日新聞社)』▽『毎日新聞社編『人類が月を歩いた――アポロ11号の全記録』(1969・毎日新聞社)』▽『バズ・オルドリン、マルカム・マコネル著、鈴木健次・古賀林幸訳『地球から来た男――宇宙への挑戦』(1992・角川書店)』▽『アンドルー・チェイキン著、亀井よし子訳『人類、月に立つ』上下(1999・日本放送出版協会)』▽『中富信夫著『アメリカ宇宙開拓史』(新潮文庫)』▽『Space Log Vol.32 1957-1996(1997, TRW)』▽『Outstanding Aerospace Engineer(1999, Purdue University)』
アメリカの電気工学者。ニューヨーク生まれ。コロンビア大学在学中、ピューピンの指導を受け、無線技術を研究、1914年三極管を用いた負フィードバック回路を考案した。この発明をめぐってド・フォレストと無線技術史上有数の激烈な特許紛争に巻き込まれ、一度は勝ったが最高裁判所判決(1928)で敗れた。第一次世界大戦中は陸軍通信隊将校としてフランスで無線通信を研究、短波増幅の目的で発明したスーパーヘテロダイン回路はラジオ受信器の感度と安定性を著しく高めた。大戦後帰国し、1921年には超再生受信法を考案、RCA社(1985年ゼネラル・エレクトリック社が買収)に特許を売却、関連する特許で富をなした。1939年には画期的な周波数変調方式(FM)を発明したが、アメリカのラジオ産業界はFM導入を拒否、加えて連邦通信局の政策や第二次世界大戦などのためFMの普及は遅れた。一方、RCA社との特許侵害の訴訟もあり、疲労困憊(こんぱい)し、貧困状態で自殺した。1934年コロンビア大学教授についたほか、エジソン賞などを受賞、獲得特許は42件に及んだ。
[木本忠昭]
イギリスの機械技術者。アームストロング砲の発明者。ニューカッスルに生まれ、ロンドンで法律を学び、初め弁護士となったが、科学の実験に興味をもち、蒸気力による発電機を考案したりした。1847年に法律を断念し、タイン河畔のウェルスウィックの小工場に入り、その共同出資者となって経営を指導、企業は盛大となった。1846年にはすでに水圧クレーンを発明製作し、1850年には水力蓄積機(水力アキュミュレーター)を発明、これはクレーン、リフトその他の機械の操作に広く応用された。
クリミア戦争(1853~1856)によって彼の注意は大砲に向けられ、1855年にいわゆるアームストロング砲を発明した。従来の鋳鉄や青銅の大砲では破裂圧が低かったので、内部の鋼製の胴に金属リングを焼きばめし、のちには錬鉄のストリップを長いつるまき線に巻いて、これを管状に溶接した。また、先のとがった砲弾を用いることにも成功した。アームストロング砲はクリミア戦争で威力を発揮し、後の日清(にっしん)・日露戦争では日本海軍に勝利をもたらした。
1859年にはウーリッジ兵器廠(しょう)長官となり、ナイトに叙せられた。1863年にもとの工場に戻り、大砲製作用の強力な水力機械を設計した。彼の会社はのちにビッカース社と合併し、ビッカース・アームストロング社(のちにビッカースとなり、ロールス・ロイス社の傘下企業となった)となり、ヨーロッパではクルップ社(現、ティッセン・クルップ社)に次ぐ兵器の大企業となった。
[山崎俊雄]
アメリカのジャズ・トランペット奏者、歌手。ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。1922年シカゴに進出して注目され、1925年から数年間ホット・ファイブおよびホット・セブンの名称でジャズ史上不滅の名演レコードをつくった。比類なきソロイストであり、ジャズのあらゆる面に多大の影響を及ぼした。とくに、アンサンブル中心であったジャズをアドリブ・ソロ中心とし、新しい道を開いた功績は大きい。またジャズ・ボーカルの始祖であり、意味のないことばの即興歌唱、スキャットを初めて1926年に録音した。愛称の「サッチモ」SatchmoはSatchel Mouth(鞄(かばん)のような大口)の略。
[青木 啓]
アメリカの無線技術者。ニューヨークに生まれ,ハイスクール時代に無線電話に興味をもち,コロンビア大学でピューピンM.I.Pupin(1858-1935。長距離通信ケーブルに装荷コイルを導入したことで著名)に学んだ。学生のときに,三極真空管を使用した再生発振回路を発明した(1912)。この回路により非減衰高周波振動を電子素子を用いて発生させることが可能になり,またそれまでの受信方式に比べてずっと高感度の受信ができるようになった。今日までの無線通信の繁栄はこの発明に負うところがきわめて大きい。第1次世界大戦中にはアメリカ陸軍通信隊に勤め,軍用通信のために1918年にスーパーヘテロダイン方式を発明した。今日のラジオ受信機はすべてこの方式によっている。21年に超短波受信用に超再生回路を発明し,33年には,周波数変調(FM)通信方式を発明した。FM通信は振幅変調(AM)通信に比べて雑音抑制,安定性(フェージングがないこと)などにおいて優れ,今日では放送をはじめとして広く用いられている。35年にはピューピンのあとを継いでコロンビア大学の教授になった。これらの重要な発明を次々と行ったアームストロングは,無線通信技術史上で最大の発明家であるといえよう。ジュネーブにある国際電気通信連合のパンテオンには,功労者24人の一人として彼が顕彰されている。再生発振回路の発明先取権をめぐるL.デ・フォレストとの20年間にわたる訴訟もよく知られている。
再生発振回路とスーパーヘテロダイン回路の権利は,総合電機メーカーであるウェスティングハウス・エレクトリック社の買収するところとなった。これに対し,無線機器製造を主業とするRCA社は,超再生回路の権利を買収し,ウェスティングハウス・エレクトリック社とのクロスライセンスによって,ラジオ受信機製造に不可欠であるスーパーヘテロダイン回路の使用権を得ることができた。このように,無線通信工業における競争と寡占の過程は,アームストロングの発明の使用権抜きに語ることはできない。FMの実用化をめぐるRCA社との特許訴訟に疲れて,アームストロングは54年に自殺してしまった。
執筆者:高橋 雄造
イギリスの発明家,企業家。ニューカスル・アポン・タイン生れ。法律を学び,法律事務所を共同で営む一方,炭鉱用の起重機,水力巻揚機などの水力機械の開発製造をおこなう。1847年には機械工場エルズウィック工場を経営。彼の蒸気ポンプを利用した蓄圧器の発明は,大型機械の操作に不可欠な水圧を利用する力の伝達方式の発展に貢献した。クリミア戦争の勃発後,機雷の設計を依頼され,大きな成功を収めた。この成功と野砲への関心とが彼を兵器製造へむかわせた。従来の軍用旋条銃を野砲に応用し,後装式旋条砲を55年に完成,この砲はアームストロング砲と呼ばれ58年に軍の正式砲となり,翌年彼は特許を政府にゆずりナイトの称号をうけ,エルズウィック兵器厰の主任技師となる。アームストロング砲の最初の前線使用となった薩英戦争(1863)における鹿児島砲撃の際,威力は発揮したものの火門口に裂開が生じ,艦載砲を旧来の前装砲におきかえる事件がおきた。彼はただちに職を辞したが,政府はエルズウィック兵器厰から撤退したので,彼は兵器厰を自らの工場に吸収,砲身の内側に鋼線を巻いて強化するなど大砲の改良・製造に力を注いだ。彼の会社はのちビッカーズ社と合併してビッカーズ=アームストロング社となり,一大軍事産業をきずきあげた。87年には男爵に叙せられた。
執筆者:奥山 修平
アメリカの黒人トランペット奏者兼歌手。愛称は〈サッチモ〉。ジャズ史上最初に現れた天才。ジャズ誕生の地ニューオーリンズの貧しい家庭に生まれ,非行少年として13歳のとき感化院に入れられたが,そこのブラスバンドでコルネットを習った。出所後は労務者生活を続けながら,いくつかのバンドで吹いていたが,1922年先輩のキング・オリバーの招きでシカゴに行き,その天才ぶりを注目された。31年までに彼の演奏スタイルはトランペット奏者ばかりでなく,ジャズのあらゆる楽器奏者がそれぞれの演奏にとりいれるようになったばかりでなく,ビッグ・バンドの編曲スタイルにもとりいれられた。40年代半ばに第2の天才チャーリー・パーカーが現れて革新的影響を残すまでのジャズを〈アームストロング・ジャズ〉と総括しても誤りではないほどである。また彼のボーカル・スタイルは,ビング・クロスビーはじめ20世紀のポピュラー歌手の手本とされた。1930年代以降は,ジャズ・ポピュラー界にとどまらず,《上流社会》ほか約60本の映画に出演して,その愛すべきパーソナリティと音楽性で世界を魅了した。69歳のとき吹き込んだ《ハロー・ドーリー》は,当時人気絶頂だったビートルズを抜き,ヒット・チャートの首位を占め世界を驚かせた。
執筆者:油井 正一
1969年7月20日,人類最初の足跡を月にしるしたアメリカの宇宙飛行士。アポロ11号の船長として,E.オルドリン飛行士とともに月着陸船イーグルで月面静の海に軟着陸し,アメリカ国旗の掲揚,岩石標本の採集,観測機器の設置など2時間以上に及ぶ月面活動を行った。〈それは1人の人間にとっては小さな一歩だが,人類にとっては巨大な躍進である〉の月面からの第一声は,地球外天体の有人探査開始を象徴するものとして有名である。1963年に第2期宇宙飛行士に選抜され,66年ジェミニ8号の船長として標的衛星アジェナとの初のドッキングに成功したが,事故により緊急帰還した経歴をもつ。69年には来日している。
→アポロ計画
執筆者:川口 淳一郎
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…彼らの経営する都会の密造酒場,ボールルームなどで,ジャズは盛んに演奏される。この時期に現れた天才ルイ・アームストロングは,すべての楽器奏者,歌手,編曲家に甚大な影響を与えた。そのなかでベニー・グッドマンは,大不況からようやく上向きに転じた35年,ラジオとレコードを通じて〈スウィング・ブーム〉をまきおこした。…
…同年12月に打ち上げられたアポロ8号は人類史上初めて人間を乗せて月を周回,69年5月アポロ10号が月着陸船を月周回軌道に乗せ,人類の月着陸のための前作業をすべて終えた。そして同年7月16日3人の宇宙飛行士を乗せたアポロ11号が打ち上げられ,7月20日N.A.アームストロング船長が人類史上初めて月面に第1歩を降ろした。その後,アポロ13号の燃料電池の故障による月面着陸中止を除き計画は順調に進められ,アポロ15号(1971)による月面車の利用などの成果をあげ,72年12月に打ち上げられた17号でアポロ計画はそのすべてを終了した。…
※「アームストロング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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