現代外国人名録2016 「ゲーリープレイヤー」の解説
ゲーリー プレイヤー
Gary Player
- 職業・肩書
- プロゴルファー
- 国籍
- 南アフリカ
- 生年月日
- 1935年11月1日
- 出生地
- ヨハネスブルク
- 本名
- Player,Gary Jim
- 経歴
- 祖父母は英国系移民。16歳でプロ入り。1955年英国に渡りトーナメントに出場、’56年ダンロップ・トーナメント優勝。渡米して、’58年ケンタッキー・ダービー・オープンで米国ツアー初優勝。’59年全英オープンでメジャー大会初優勝。’61年マスターズ、’62年全米プロゴルフ選手権、’65年全米オープンで優勝し、史上3人目の世界4大タイトルを制するグランドスラムを達成した。以後も’68年全英オープン、’72年全米プロゴルフ選手権、’74年全英オープン及びマスターズ、’78年マスターズとメジャータイトルは9個を数え、米国ツアーは通算24勝。アーノルド・パーマー(米国)、ジャック・ニクラウス(米国)とともに“ビッグ・スリー”と称され、’74年彼らとともに世界ゴルフ殿堂入り。168センチ、67キロの小柄な体をトレーニングで克服し、“南アの黒豹”とも呼ばれた。’92年シニアゴルフ大会に参加するため、18年ぶりに来日。’93年、2年ぶりにシニアツアーで優勝。’94年全英オープン40年連続出場。’98年シニアツアーで優勝し史上2番目の高齢チャンピオンとなる。シニアツアー19勝を含め、世界各地で通算176勝を挙げている。マスターズには通算51回の最多出場記録を持ち、2009年マスターズは52回出場で引退。著書に「15の方法」(1968年)、回想録「ゲイリー・プレイヤー―勝利者への条件」など。欧州や南米など世界中でプレーする中、南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)のため入国を拒否された経験を持ち、反アパルトヘイト活動家として、’70年から南アフリカで黒人教育に携わり、’88年にはゲーリー・プレイヤー財団を設立。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報