アーノルドパーマー(英語表記)Arnold Palmer

現代外国人名録2016 「アーノルドパーマー」の解説

アーノルド パーマー
Arnold Palmer

職業・肩書
プロゴルファー

国籍
米国

生年月日
1929年9月10日

出生地
ペンシルベニア州ラトルブ

本名
Palmer,Arnold Daniel

学歴
ウェイクフォレスト大学

経歴
1954年全米アマ選手権で優勝し、同年プロ入り。翌年プロツアーに初出場。以後、その攻撃的なプレーギャラリーを魅了し、“アーニー軍団”なる熱狂的なファンを生む。またその出現でプロゴルフ・トーナメントは大衆化し、全米ネットのテレビ中継も増えたといわれる。主な戦績は、’58、’60、’62、’64年のマスターズ優勝、’60年の全米オープンと’61、’62年の全英オープン優勝。なお、’58、’60、’62、’63年に賞金ランキング1位で、’68年にはPGAツアー獲得賞金総額が100万ドルに達した最初のプレーヤーとなった。通算成績はPGAツアー62勝、シニアツアー10勝。“ビッグ・スリー”と称されたジャック・ニクラウス(米国)、ゲーリー・プレイヤー(南アフリカ)らとともに、’74年世界ゴルフ殿堂入り。’97年1月前立腺がんを告白し、手術を受けるためツアーから撤退するが、同年3月PGAツアーに復帰。2001年2月ボブ・ホープクラシックに出場、22年ぶりとなる自身の年齢以下のスコアで回る“エージ・シュート”を記録する。2004年4月、50年間連続出場(最多出場)していたマスターズから引退した。事業家としても成功し、1996年に24時間ゴルフ情報を放送するザ・ゴルフ・チャンネル開局会長を務める。著書に「パーマー・ゴルフ300ポイントレッスン」などがある。

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百科事典マイペディア 「アーノルドパーマー」の意味・わかりやすい解説

アーノルド・パーマー

米国のプロ・ゴルファー,またそのブランドをいう。パーマーは1929年生れ。1954年全米アマチュアゴルフ選手権で優勝後プロに転じ,全米マスターズで史上初の4回優勝を果たす(1958年,1960年,1962年,1964年)。全米オープン(1960年),全英オープン(1961年,1962年)でも優勝。引退後はビジネスを手がけ,中国に初のゴルフコースを設置したりした。パーマーの名は,ゴルフウェアをはじめおとな物から子ども物までの洋品,靴下,肌着,ナイトウェアなどにつけられた,カラフルな傘のマークでもなじみ深い。これはプレーのスタートの時,たくさんのゴルフバッグのなかから自分のクラブを見つけられなかったパーマー自身が,目印のためにつけたのが始まりといわれる。

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20世紀西洋人名事典 「アーノルドパーマー」の解説

アーノルド パーマー
Arnold Palmer


1929.9.10 -
米国のプロゴルファー。
ラトルブ生まれ。
ウェイクフォレスト大学に学ぶ。
本名Arnold Daniel Palmer。
近代ゴルフの3大巨人と言われ、マスターズ(1958年、’60年、’62年、’64年)、全米オープン(’60年)、全英オープン(’61年、’62年)で、それぞれ優勝する。積極的な攻めと、わざは憧れの的となりゴルフのブームを作る。長年にわたり賞金ランキング1位を保持する。著書に「パーマー・ゴルフ300ポイント・レッスン」(’76年)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「アーノルドパーマー」の解説

アーノルド パーマー

生年月日:1929年9月10日
アメリカのプロゴルファー

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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