山川 世界史小辞典 改訂新版 「コソヴォの戦い」の解説
コソヴォの戦い(コソヴォのたたかい)
1389年,中世セルビア王国のラザル王率いる軍とムラト1世率いるオスマン軍とのコソヴォ平原での戦い。ラザルの軍はボスニア王トゥヴルトコ,ゼータ(モンテネグロ)公ブランコヴィチ,ワラキア公ミルチャの軍の支援を受けた。戦場となったコソヴォ平原は現在のコソヴォ自治州の州都プリシュティナのすぐ南にある。バルカン半島への進出をめざすムラト1世軍とラザル軍との戦闘は,コソヴォの戦いが3度目の決戦。この戦いで,ムラト1世もラザル王も命を落とした。戦いはセルビア軍の敗北であり,これ以後,オスマン軍がバルカン半島にいっきに進攻。セルビアでは,コソヴォの戦いが悲劇の歴史として神話化され,近代のセルビア・ナショナリズムを鼓舞する事件として利用された。なお,コソヴォ平原では1448年にも,ハンガリー人貴族フニャディの軍がオスマン軍に大敗を喫している。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報