ムラト1世(その他表記)Murat Ⅰ

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ムラト1世」の解説

ムラト1世(ムラトいっせい)
Murat Ⅰ

1326~89(在位1360~89)

オスマン朝の第3代スルタントラキアに進出してエディルネ(アドリアノープル)を取得ブルサからこの地に遷都(1365年)した。ついでニシェ(75年),ソフィア(82年),サロニカ(86年)を奪い,コソヴォにてセルビア軍と戦い勝利を得たが,陣中で暗殺された。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムラト1世」の意味・わかりやすい解説

ムラト1世
ムラトいっせい
Murat I

[生]1326
[没]1389.6. コソボ
オスマン帝国第3代スルタン (在位 1362頃~89) 。アンカラ,アドリアノープル (現エディルネ) ,フィリッポポリスの攻略をはじめブルガリア征服。 1362年頃首都をブルサからアドリアノープルに移し,エディルネと改名した。 89年コソボの戦いではセルビア王の連合軍に大勝したが,戦闘終了後,セルビア貴族に刺殺された。彼はイェニチェリ創設や,法律,民治組織の整備など,同帝国の基礎を築いた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む