コドモノクニ(読み)こどものくに

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コドモノクニ」の意味・わかりやすい解説

コドモノクニ
こどものくに

幼児絵雑誌。1922年(大正11)1月創刊。1944年(昭和19)3月終刊。東京社発行。和田古江(ここう)編集、のちに奈街(なまち)三郎(1907―1978)編集。大正時代の童話童謡運動の盛り上がりのなかで創刊され、初山滋(しげる)、川上四郎武井武雄清水良雄岡本帰一ら、当時の代表的な童画家たちが描き、絵雑誌の水準を芸術的に高めた。また浜田広介(ひろすけ)の幼年童話、北原白秋西条八十(やそ)の童謡発表の舞台でもあった。昭和に入ると、安泰(やすたい)(1903―1979)、松山文雄、安井小弥太(こやた)(1905―1985)らの新しい描き手の進出が目だった。

[岡田純也]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル大辞泉プラス 「コドモノクニ」の解説

こどものくに

宮崎県宮崎市にあるレジャー施設。1939年開園。

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世界大百科事典(旧版)内のコドモノクニの言及

【絵本】より

… ついで大正中期に模範家庭文庫を出した冨山房で,楠山正雄の《画(え)とお話の本》3冊(1925‐26)を出したが,その画家たちは,大正中期に輩出した絵雑誌のプールに負っている。1914年に《子供之友》,21年に《コドモノクニ》,23年に《コドモアサヒ》が出て,岡本帰一,清水良雄,武井武雄,川上四郎,初山滋,村山知義,本田庄太郎たちがそれらによって活躍した。武井武雄は,彼と彼の影響に立つ画家たちの様式性の強い画風を立てて,24年に童画と呼ぶに至り,27年に日本童画家協会を設立,対立的に新ニッポン童画会もできたが,両会とも写実をもたない安易な類型に陥ったにすぎなかった。…

【児童雑誌】より

…類似のものに《金の船》(1919。22年から《金の星》と改題),《童話》(1920),《コドモノクニ》(1922)などがあるが,ほとんどみな大正期のみで姿を消した。一方,全国的に人気があった大衆的児童雑誌は《少年俱楽部》(1914),《譚海》(1920),《少女俱楽部》(1923),《幼年俱楽部》(1926)などで,とくに《少年俱楽部》に連載された少年小説や《のらくろ》に代表される漫画の数々は,熱狂的に愛読され,その影響力は非常に大きいものがあった。…

※「コドモノクニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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