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童画家、版画家、書物工芸家、童話作家。長野県岡谷市に生まれ、東京美術学校西洋画科を卒業。大正末期に絵雑誌『コドモノクニ』の童画家として出発したが、驚くべき多面的な才能を発揮した。童画家、版画家としてはデフォルメの強い個性的な画風で多くの仕事があり、童話作家としては『お噺(はなし)の卵』『ペスト博士の夢』『ラムラム王』などの作品がある。また、本文・挿絵・印刷・造本をすべて自身で行う造本芸術にも情熱をもち、139冊の作品をつくった。出版美術の著作権擁護にも尽力し、89歳で没した。作品集に『武井武雄作品集』全三冊(筑摩書房)があり、童画・絵本論集に『本とその周辺』がある。
[上笙一郎]
『『本とその周辺』(中公文庫)』▽『武井武雄著『赤ノッポ青ノッポ』(1982・集英社)』▽『斎藤正一著『百三十九冊の不思議な本――武井武雄の刊本作品』(1984・文化出版局)』
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… ついで大正中期に模範家庭文庫を出した冨山房で,楠山正雄の《画(え)とお話の本》3冊(1925‐26)を出したが,その画家たちは,大正中期に輩出した絵雑誌のプールに負っている。1914年に《子供之友》,21年に《コドモノクニ》,23年に《コドモアサヒ》が出て,岡本帰一,清水良雄,武井武雄,川上四郎,初山滋,村山知義,本田庄太郎たちがそれらによって活躍した。武井武雄は,彼と彼の影響に立つ画家たちの様式性の強い画風を立てて,24年に童画と呼ぶに至り,27年に日本童画家協会を設立,対立的に新ニッポン童画会もできたが,両会とも写実をもたない安易な類型に陥ったにすぎなかった。…
※「武井武雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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