武井武雄(読み)タケイタケオ

デジタル大辞泉 「武井武雄」の意味・読み・例文・類語

たけい‐たけお〔たけゐたけを〕【武井武雄】

[1894~1983]童画家・版画家長野の生まれ。「童画」という名称創始者で、初期童画界の代表者一人

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精選版 日本国語大辞典 「武井武雄」の意味・読み・例文・類語

たけい‐たけお【武井武雄】

  1. 童画家。長野県出身。東京美術学校卒業後童画を描き続け、児童出版美術の興隆に尽くす。童画集「武井武雄童画集」「廃園の草」のほか、「武井豆本」「戦中気儘画帳」など。明治二七~昭和五八年(一八九四‐一九八三

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20世紀日本人名事典 「武井武雄」の解説

武井 武雄
タケイ タケオ

大正・昭和期の童画家,版画家,童話作家 元・日本童画家協会代表。



生年
明治27(1894)年6月25日

没年
昭和58(1983)年2月7日

出生地
長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市)

学歴〔年〕
東京美術学校(現・東京芸術大学)洋画科〔大正8年〕卒

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和34年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和42年〕

経歴
「赤い鳥」「金の船」「コドモノクニ」などをめぐる童話童謡運動に参加し、童画を描き始め、大正12年「武井武雄童画展」を開催。昭和2年日本童画家協会創立に参加。21年日本童画会を結成戦前の童話「赤ノッポ青ノッポ」や、終戦直後の画文集「戦後気侭画帳」などで知られ、自ら名づけた“童画”を独立した地位にまで高めた。版画家としても活躍し、19年日本版画協会会員となり、同協会展に出品。また昭和10年以来、紙、表紙、印刷に工夫をこらした手づくり絵本刊本」づくりに力を入れ、作品は139冊に及び、配本を受ける“刊本作品友の会”会員には、永井路子岡部冬彦・芳村真理・飯沢匡らがいた。著書に童話「お噺の卵」「ラムラム王」、絵本「あるき太郎」、童画集「妖精伝奇」、エッセイ「本とその周辺」「日本の郷土玩具」などの他、「武井武雄作品集」(全3巻)「童画集」がある。平成10年岡谷市にイルフ童画館開館

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「武井武雄」の意味・わかりやすい解説

武井武雄
たけいたけお
(1894―1983)

童画家、版画家、書物工芸家、童話作家。長野県岡谷市に生まれ、東京美術学校西洋画科を卒業。大正末期に絵雑誌『コドモノクニ』の童画家として出発したが、驚くべき多面的な才能を発揮した。童画家、版画家としてはデフォルメの強い個性的な画風で多くの仕事があり、童話作家としては『お噺(はなし)の卵』『ペスト博士の夢』『ラムラム王』などの作品がある。また、本文・挿絵・印刷・造本をすべて自身で行う造本芸術にも情熱をもち、139冊の作品をつくった。出版美術の著作権擁護にも尽力し、89歳で没した。作品集に『武井武雄作品集』全三冊(筑摩書房)があり、童画・絵本論集に『本とその周辺』がある。

[上笙一郎]

『『本とその周辺』(中公文庫)』『武井武雄著『赤ノッポ青ノッポ』(1982・集英社)』『斎藤正一著『百三十九冊の不思議な本――武井武雄の刊本作品』(1984・文化出版局)』

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改訂新版 世界大百科事典 「武井武雄」の意味・わかりやすい解説

武井武雄 (たけいたけお)
生没年:1894-1983(明治27-昭和58)

童画家,版画家,童話作家。長野県岡谷市に生まれる。東京美術学校卒業。〈童画〉の語を用いた最初の画家で,《コドモノクニ》などの児童向け絵雑誌に童画を寄稿し,絵本の制作,児童小説の創作に励み,その振興に尽力する一方,日本版画協会に所属し,童心の世界を描いた清新な木版画を発表した。玩具研究家でもあり,《日本郷土玩具》を出版した。なお著書《戦中年儘画帖》《戦後年儘画帖》は第2次大戦前後の世相,思想を知る貴重な資料である。晩年はパピルスなども用いて美麗な豆本を数多く制作した。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「武井武雄」の意味・わかりやすい解説

武井武雄【たけいたけお】

童画家・版画家・童話作家。長野県生れ。東京美術学校卒業。1927年日本童画家協会創立に参予,1946年日本童画会を結成。〈童画〉の語を用いた最初の画家で,児童向け絵雑誌《コドモノクニ》などに童画を寄稿し,絵本の制作,児童小説の創作に活躍する一方,日本版画協会に所属して木版画を発表した。著書に童話集《お噺の卵》(1923年),童話《ペスト博士の夢》(1924年),《ラムラム王》(1926年)などがある。画文集《戦中年儘画帖》《戦後年儘画帖》(1973年)は,第2次大戦前後の世相を知る上で貴重。玩具の研究も行い,《日本郷土玩具》を出版。→児童画

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武井武雄」の解説

武井武雄 たけい-たけお

1894-1983 大正-昭和時代の童画家。
明治27年6月25日生まれ。大正11年創刊の絵雑誌「コドモノクニ」で活躍,13年はじめて童画の語をもちいた。版画や絵本の制作,創作童話,印刷・造本にも力をそそいだ。昭和58年2月7日死去。88歳。長野県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。著作に「本とその周辺」,画文集「戦後気儘画帳」など。

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367日誕生日大事典 「武井武雄」の解説

武井 武雄 (たけい たけお)

生年月日:1894年6月25日
大正時代;昭和時代の童画家;版画家。日本童画家協会代表
1983年没

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世界大百科事典(旧版)内の武井武雄の言及

【絵本】より

… ついで大正中期に模範家庭文庫を出した冨山房で,楠山正雄の《画(え)とお話の本》3冊(1925‐26)を出したが,その画家たちは,大正中期に輩出した絵雑誌のプールに負っている。1914年に《子供之友》,21年に《コドモノクニ》,23年に《コドモアサヒ》が出て,岡本帰一,清水良雄,武井武雄,川上四郎,初山滋,村山知義,本田庄太郎たちがそれらによって活躍した。武井武雄は,彼と彼の影響に立つ画家たちの様式性の強い画風を立てて,24年に童画と呼ぶに至り,27年に日本童画家協会を設立,対立的に新ニッポン童画会もできたが,両会とも写実をもたない安易な類型に陥ったにすぎなかった。…

※「武井武雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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