大正・昭和期の児童文学作家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
児童文学者。明治26年5月25日、山形県東置賜(ひがしおきたま)郡屋代村一本柳(現高畠(たかはた)町)に生まれる。中学校時代はアンデルセン童話を愛読した。山形県立米沢(よねざわ)工業染織科に入学したが半年で退学、島崎藤村(とうそん)、蒲原有明(かんばらありあけ)、薄田泣菫(すすきだきゅうきん)、北原白秋(はくしゅう)らを耽読(たんどく)してますます文学に関心を抱き、1914年(大正3)早稲田(わせだ)大学高等予科に入学、ロシア文学に親しんだ。早大時代『萬朝報(よろずちょうほう)』に小説『零落』その他が投稿入選。17年処女童話『黄金(こがね)の稲束』が『大阪朝日新聞』に入選、賞金50円を得て生涯の道が定まった。選者巌谷小波(いわやさざなみ)は、この作品が人間の善意のみで描かれていることを賞賛した。早大卒業後、片上伸(のぶる)の紹介で春秋社の『トルストイ全集』を編集。さらに童話雑誌『良友』の編集に従事、かたわら同誌に『花びらの旅』『むく鳥の夢』を発表して認められた。その作風はストーリー性よりも情緒性を重んじ、詩的香気ある平仮名短編童話作家として定評を得るに至った。21年第一童話集『椋鳥(むくどり)の夢(ゆめ)』を刊行以後、多くの童話集を刊行、小川未明(みめい)とともに童話を文学の一ジャンルとして定着させた功績は大きい。代表作に『泣いた赤鬼』がある。55年(昭和30)に日本児童文芸家協会を設立、初代理事長となった。芸術選奨、サンケイ児童出版文化賞などを受賞。昭和48年11月17日没。郷里に広介墨跡保存会がある。
[浜野卓也]
『『浜田広介全集』全12巻(1975~76・集英社)』▽『『泣いた赤おに』(偕成社文庫・フォア文庫・ポプラ社文庫)』▽『『浜田広介童話集』(旺文社文庫・講談社文庫・新潮文庫)』
児童文学者。山形県の生れ。本名広助。1918年早稲田大学英文科卒業。在学中,《万朝報》に数編の投稿小説が入選,掲載されたが,同じ在学中の17年,《大阪朝日新聞》懸賞童話に筆名赤名晨吉で応募した《黄金の稲束》が一等当選,その縁で《良友》に《ほろほろ鳥》《呼子鳥》を発表,結局,以後児童文学一筋の人生を送った。大学卒業後,春秋社,コドモ社,精華書院,実業之日本社などの出版社に勤めながら作品を発表,21年に処女童話集《椋鳥(むくどり)の夢》を刊行,23年からは文筆一本の生活に入った。広介童話の大半は小学校中級以下の子どもを対象とした短編で,ために広介童話は幼年・幼児童話の代表として評価されてきたが,ストーリーの展開によるおもしろさよりは,情緒的美意識の世界を七五調中心のリズム文体で展開した作品が多く,戦後,新しい児童文学の波が興った際,小川未明とともに批判の対象となった。
執筆者:鳥越 信
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…1864年(元治1)6月に浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコJoseph Heco)が岸田吟香らの協力で発行した新聞。当初は手書きで《新聞誌》と題されていたが,65年(慶応1)5月から木版印刷の《海外新聞》となった。…
※「浜田広介」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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