コロンボ会議(読み)コロンボかいぎ(その他表記)Colombo Conference

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コロンボ会議」の意味・わかりやすい解説

コロンボ会議
コロンボかいぎ
Colombo Conference

セイロン (現スリランカ) の J.コテラワラ首相の提案で,1954年4月 28日~5月2日,同国の首都コロンボで開かれた東南アジア首相会議インド,セイロン,インドネシアパキスタンビルマ (現ミャンマー) の5ヵ国の首相が参加し,インドシナ戦争の早期停止とインドシナ3国の完全独立,植民地主義反対,特にモロッコチュニジアの独立を支持,中華人民共和国の承認,原水爆の禁止,民主主義擁護と外国干渉の排除などを強調する共同宣言を発表した。この結果,直接的には,同じ頃開かれていたジュネーブ極東平和会議に対し,アジアの意向として強く影響を与え,インドシナ休戦協定の成立に大きく貢献し,アジア諸国団結による行動力を世界に示した。コロンボ会議参加5ヵ国は,インドを先頭とした反植民地主義,民族主義的立場を取る「コロンボ・グループ」を形成し,その後,55年のアジア=アフリカ会議の開催を実現する原動力となった。

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百科事典マイペディア 「コロンボ会議」の意味・わかりやすい解説

コロンボ会議【コロンボかいぎ】

1954年4月,ビルマ,インド,インドネシア,セイロン(現スリランカ),パキスタン各国首相がコロンボに集まり,インドシナ戦争の早期終結,核兵器使用禁止,中国国連加盟アジア・アフリカ会議開催などを宣言した会議。以後これら諸国はコロンボ・グループと呼ばれた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「コロンボ会議」の解説

コロンボ会議
コロンボかいぎ

1954年,コロンボで開かれた東南アジア5か国の首相会議
4月から5月にかけてインド・パキスタン・インドネシア・ビルマ・セイロンが参加し,植民地主義反対,中国の国連加盟,原水爆禁止,インドシナ戦争のすみやかな平和的解決などを決議した。なお,これによってコロンボ−グループが生まれ,翌年4月のアジア−アフリカ会議の招請国となり,アジア−アフリカ諸国の連帯感を高める契機をつくった。

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