ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンスタンス2世」の意味・わかりやすい解説
コンスタンス2世
コンスタンスにせい
Constans II Pogonatus
[没]668.9.15. シラクーザ
ビザンチン皇帝(在位 641~668)。641年,父コンスタンチヌス3世,叔父ヘラクレオナスとその母マルチナが短期間在位したのち,元老院により 11歳で皇帝に選出された。後年その美しい髯(ほおひげ)のため顎髯王(がくぜんおう)Pogonatusと呼ばれた。642~654年にイスラムの侵略によりアフリカ,小アジア(→アナトリア),キプロス,ロドス島などがビザンチン帝国から失われてゆき,659年に和平条約も締結されたが,東地中海での制海権は大きくゆらいだ。キリストの人性と神性に関する論争を調停するために,648年勅令チュポスを発布したが,教皇マルチヌス1世と対立,655年に教皇をクリミアのケルソンに流刑にした。アテネ,ローマと旅行したあと,663年シチリア島のシラクーザに仮宮を置き,イスラムの攻撃に対する基地とするため遷都を考えたが,侍従に浴室で暗殺された。
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