イタリア、シチリア島南東部、シラクーザ県の県都。人口12万1000(2001国勢調査速報値)。イオニア海に臨み、天然の良港ポルト・グランデPorto Grandeをもつ商工業・港湾都市。小島オルティジアを中心に発達してきたが、19世紀後半以降、橋で結ばれている本島に新市街が形成された。第二次世界大戦後、北方のアウグスタに至る海岸は、石油化学工業を中心とした南部イタリア有数の工業地帯となった。また観光地としても有名で、考古学地域にあるギリシアの劇場(前5世紀)やローマの円形劇場(後3世紀)、旧市街にある大聖堂(7世紀)、国立考古学博物館などが名高い。
[堺 憲一]
紀元前734年ごろコリントのアルキアスが建設したと伝えられる。ギリシア人が先住民を隷農とし、貴族政をとって前6世紀には各地に植民市をつくるほど発展した。一時民主政となったが、ゲロンGelon(前540ころ―前478)が僭主(せんしゅ)となり、その弟ヒエロンHieron(在位前478~前467)のときにはイタリア本土にも進出して多くの都市を支配した。宮廷にはアイスキロスらも招かれてギリシア文化の導入が盛んに行われた。ヒエロンの死後ふたたび民主政となり、ペタリモスというオストラキスモスに似た制度ができた。ペロポネソス戦争時のアテネ軍侵入に際しては激しく抵抗し、これを壊走せしめた(前412)。前406年ディオニシオス1世が僭主となり、対外支配力を強めたがカルタゴと対立するに至った。ディオニシオス2世を放逐してカルタゴと戦ったティモレオンの活躍もあったが、しだいに不振となった。第二次ポエニ戦争ではカルタゴに味方し、ローマのマルケルスに包囲されて敗れた。このときアルキメデスが防衛戦に活躍した。その後はローマ支配下の都市として存続し、中世まで港としての重要性を保った。9世紀にはイスラム教徒に支配され、のちノルマン人、スペインに次々と服したすえ、1861年イタリア王国に統合された。アフリカ方面への出港地として重要な役割を果たし、第二次世界大戦では連合国軍の空襲目標となった。
[松本宣郎]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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