ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンスタンチウス2世」の意味・わかりやすい解説
コンスタンチウス2世
コンスタンチウスにせい
Constantius II; Flavius Julius Constantius
[没]361.11.3. キリキア
ローマ皇帝 (在位 337~361) 。コンスタンチヌス1世 (大帝)の第3子。大帝の死後,内紛で一族の者を数多く殺害し,残った3兄弟で共治。東方 (トラキア,マケドニア,ギリシア,小アジア,エジプト) を支配。 338~350年ペルシアのシャプール2世と戦ったが,344,348年には大勝。西方の弟コンスタンスを倒した F.マグネンチウスをムルサに滅ぼし (351) ,単独帝となる。この間,一時東方の統治をゆだねた副帝ガルス・カエサルが横暴なため,354年これを殺し,355年フランクの帝位僭称者シルバヌスを倒した。 357~358年ドナウ川地方に遠征。 359年再びシャプールと戦った。政治にも熱心で父帝の方針を受継ぎ,軍備を強化,教会建設に努めたが,財政的には破綻を招いた。深いキリスト教的教養をもち,公会議においてはアリウス派を支持,アタナシウスらを再三追放した。ユリアヌスを討とうとして病没。死の床でアリウス派のエウゾイオスから受洗。
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