チャンドラグプタ(その他表記)Candragupta

デジタル大辞泉 「チャンドラグプタ」の意味・読み・例文・類語

チャンドラグプタ(Chandragupta)

インドマウリヤ朝創始者在位前317ごろ~前296ごろ。マガダ国のナンダ王朝を倒して、北インドを統一。さらに西北及び南インドまで勢力を拡大、インド最初の統一帝国を建設。生没年未詳。
(1世)インドのグプタ朝の創始者。在位320~335ごろ。即位した320年を元年とする「グプタ紀元」を創設。生没年未詳。
(2世)グプタ朝、第3代の王。在位376~414ごろ。領土を広げて最盛期を迎えた。中国文献は超日王と記した。生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「チャンドラグプタ」の意味・読み・例文・類語

チャンドラグプタ

  1. ( Chandragupta )
  2. [ 一 ] インド、マウリヤ朝の始祖(在位前三一七‐前二九三頃)。ナンダ朝を滅ぼして、マウリヤ朝を創建。紀元前三〇五年、ほぼインド全域の統治に成功して、史上最初の統一帝国を実現した。専制政治を断行したが、仏教やジャイナ教を保護して、インドの宗教文化の基礎を作った。生没年未詳。
  3. [ 二 ] ( 一世 ) インド、グプタ朝の創始者(在位三二〇‐三三五頃)。マガダ地方の小王の子。名家との結婚によって勢力を得、パータリプトラを都として、範囲をアラハバードまで拡大、王朝の基礎を築いた。生没年未詳。
  4. [ 三 ] ( 二世 ) インド、グプタ朝第三代の王(在位三七六‐四一四頃)。サムドラグプタの子。サカ国を滅ぼして西部インドを併合、西アジアとの通商によって経済を発展させて、王朝の最盛期を築いた。超日王。生没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「チャンドラグプタ」の意味・わかりやすい解説

チャンドラグプタ
Candragupta

古代インド,マウリヤ朝の創始者。在位,前317-前293年ころ。生没年不詳。出自については,ヒンドゥー教の文献がシュードラの血を引くと伝え,仏教の文献がクシャトリヤの出身とするなど,伝説間に一致をみない。ギリシア側の文献は彼をサンドロコットスSandrokottosの名で呼び,卑賤の生れであると伝えている。前317年ころマガダ国の辺境で挙兵し,ナンダ朝を倒して王朝を創始した。彼のこの偉業は,バラモン出身の宰相カウティリヤの策謀に負うところが大きかったという。チャンドラグプタは即位後ただちに軍を西に進め,アレクサンドロスの死後の混乱状態にあったインダス川流域からギリシア勢力を一掃した。また西南インドやデカン地方の征服を進め,インド史上における最初の帝国の建設者となった。さらに前305年ころ,来襲したシリアセレウコス1世の軍を迎え撃ち,講和の結果500頭の象と交換にアフガニスタン東半を含むインダス川西方の広大な地を獲得している。またこの講和を機に,セレウコスの娘がマウリヤ朝の後宮に入り,《インド誌》の著者として名高いメガステネス使節として首都パータリプトラを訪れた。ジャイナ教の伝説によると,チャンドラグプタは老齢にいたってジャイナ教に改宗し,王子のビンドゥサーラに位を譲ったあと出家して聖者バドラバーフBhadrabāhuの弟子となり,師に従って南インドに移り,苦行生活を送りつつここで没したという。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チャンドラグプタ」の意味・わかりやすい解説

チャンドラグプタ
Chandragupta

インド,マウリヤ朝の創始者 (在位前 317頃~296頃) 。漢訳仏典では旃陀羅掘多,月護などと記す。ナンダ朝治下のマガダ国辺境で挙兵してこの王朝を倒し,さらに北西インドからアレクサンドロス3世 (大王)の残したギリシア勢力を一掃して,インド史上初めて北インドを統一した。さらにセレウコス朝シリアの軍と戦ってアフガニスタン地方を奪い,南はデカン高原に兵を進めた。『アルタシャーストラ (実利論) 』の作者と伝えられるカウティリヤが,さまざまな謀略を用いてチャンドラグプタの偉業を助けたといわれる。セレウコス朝とはのちに講和条約を結んで使節を交換したが,このとき都のパータリプトラを訪れたメガステネースは,帰国後に『インド滞在記』を著わしている。ジャイナ教の伝説によると,晩年その子ビンドゥサーラに王位を譲り,みずからはジャイナ教の苦行者になり,南インドで没したという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「チャンドラグプタ」の意味・わかりやすい解説

チャンドラグプタ
ちゃんどらぐぷた
Chandragupta

生没年不詳。古代インドのマウリヤ朝の建設者(在位前317~前296ころ)。卑賤(ひせん)な階級の出身といわれているが、確かなことはわかっていない。マガダ国のナンダ朝を倒し、それにかわって、2世紀にわたり進展してきたマガダ国の北インド統一支配の事業を遂行し、さらにアレクサンドロス大王が残したギリシア人勢力を西北インド辺境地方から一掃した。紀元前305年ごろセレウコス朝ニーカトール(セレウコス1世)が東進すると、これと和議を結んで、アフガニスタン南半をも領土とした。かくして彼は空前の大領域をもつインド最初の統一帝国を建設した。この帝国については、セレウコス朝の使節メガステネスの旅行記と、チャンドラグプタの宰相カウティリヤの著作といわれる『アルタ・シャーストラ』(実利論)とに描かれている。それによれば、彼は専制的な君主であって、帝国の支柱は巨大な常備軍と機構の整備した官僚とであった。豊饒(ほうじょう)なガンジス流域は河川によって灌漑(かんがい)され、その発展した農業生産は帝国の経済的基盤となった。また、都市の商工業を管理下に置き、その交易を監督した。

[山崎利男]


チャンドラグプタ(2世)
ちゃんどらぐぷた
Chandragupta Ⅱ

生没年不詳。インド、グプタ朝第3代の王(在位376~414ころ)。チャンドラグプタ1世の孫。ビクラマーディティヤ(武勇の太陽)と称し、中国文献では超日王と記されている。彼は父王サムドラグプタの広大な領土を継承して、治世の初めに中央インドの政治、文化の中心地ウジャインを占領し、3世紀にわたって支配していた異民族たるシャカ民族を駆逐して、中央インドからグジャラートまでを征服した。その南のデカンのバーカータカ朝には娘を嫁がせ、この婚姻関係を通じて南部に勢力を及ぼした。かくして、彼はベンガル湾からアラビア海に至る広大な領域を支配して、その軍事、行政制度を整備し、また大量な金貨を発行して、貿易商業を盛んにした。この繁栄のようすは、当時北インドを訪れた法顕(ほっけん)の旅行記に記されている。このときはサンスクリット文学の最盛期にあたり、後世詩聖と仰がれたカーリダーサがウジャインで詩と戯曲をつくった。

[山崎利男]


チャンドラグプタ(1世)
ちゃんどらぐぷた
Chandragupta Ⅰ

生没年不詳。古代インドのグプタ朝第1代の王(在位320~335ころ)。3世紀中ごろ、クシャン朝衰退後、マガダ地方(今日のビハール州南部)に興起した小国に生まれ、周辺の諸勢力を征服して、アラハバードからベンガル北部に至るガンジス流域を領土とし、グプタ帝国の基礎をつくった。その間に、ビハール北部の名家リッチャビ家の娘クマーラデービーと結婚し、そのうえ「大王の王」「最高の君主」という王位を誇示するサンスクリットの新しい称号を唱えて、王朝の権威を高めた。その後北インドに広く用いられたグプタ紀元の元年は320年にあたり、それは彼が王位についた年と考えられている。

[山崎利男]

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百科事典マイペディア 「チャンドラグプタ」の意味・わかりやすい解説

チャンドラグプタ

インドのマウリヤ朝の創始者。前317年―前293年ごろ在位。もとナンダ朝の将軍で,マガダ国から興起し,宰相カウティリヤの補佐で北インドを統一,さらに南インドへも兵を進めた。パータリプトラに都し,シリアのセレウコス1世と戦った。強大な軍備と完備した行政機構をもち,インドにおける最初の統一者となった。アショーカ王はその孫。

チャンドラグプタ[1世]【チャンドラグプタ】

インドのグプタ朝の創始者。生没年不詳。在位320年―335年ごろ。クシャーナ朝の勢力衰退の後,ビハール地方で台頭,ガンガー中流域の覇権を握った。北インドの統一はその子サムドラグプタにゆだねられた。

チャンドラグプタ[2世]【チャンドラグプタ】

インドのグプタ朝第3代の王(在位376年―414年ころ)。サムドラグプタの子。彼の治世はグプタ朝の最盛期であった。中国では超日王(ちょうじつおう)と呼ばれる。

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旺文社世界史事典 三訂版 「チャンドラグプタ」の解説

チャンドラグプタ
Chandragupta

生没年不詳
古代インド,マウリヤ朝の始祖(在位前317 (ごろ) 〜前293 (ごろ) )
アレクサンドロス大王のインド遠征に乗じてマガダ国のナンダ朝を倒し,新王朝を開いてパータリプトラに都した。北西インドからギリシア勢力を駆逐し,南はデカン方面を征して,インド史上最初の統一国家を建てた。

チャンドラグプタ(2世)
Chandragupta Ⅱ

生没年不詳
インドのグプタ朝第3代王(在位376〜414 (ごろ) )。中国では超日 (ちようにち) 王と呼ばれる
法顕 (ほつけん) の旅行記には王国の繁栄が詳述され,官吏制度が高度に発達し,文運も盛んで,詩聖カーリダーサも活躍。グプタ朝の最盛期を現出した。

チャンドラグプタ(1世)
Chandragupta Ⅰ

生没年不詳
古代インドのグプタ朝の創始者(在位320〜335 (ごろ) )
ガンジス川中流域に強大な国家を建て,みずから覇王 (はおう) (「諸王中の王」の意)という称号を初めて用いた。

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世界大百科事典(旧版)内のチャンドラグプタの言及

【シュラバナベルゴーラ】より

…7世紀以後とされる碑文が多く発見され,そこに見られる伝承で注目される。それによれば,〈チャンドラグプタ(前4世紀末)は老齢にいたりジャイナ教に改宗し,王位を譲り出家し師に従ってマイソールの聖地シュラバナベルゴーラに隠棲し,苦行して断食死をとげた〉という。10世紀以後のジャイナ教諸文献も同じ内容の伝承を伝え,これを論拠に,マウリヤ朝の創始者チャンドラグプタが晩年にジャイナ教に改宗したと推論する学者も多い。…

※「チャンドラグプタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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