中国、東晋(とうしん)初代の皇帝(在位317~322)。諡(おくりな)は元帝。司馬懿(しばい)の曽孫(そうそん)で琅邪(ろうや)王に封ぜられ、八王の乱の末期、安東将軍となって下邳(かひ)(江蘇(こうそ)省)に鎮守し、揚州(ようしゅう)(華中東部)の軍権を統轄した。華北の混乱が激化すると307年、名臣王導の計で建鄴(けんぎょう)(313年建康と改名、現南京(ナンキン)市)へ移鎮、亡命貴族や江南豪族を幕下に招いて勢力を固め、西晋が滅ぶと317年、晋王となって建武と改元するなど事実上の王朝体制をとり、翌年正式に即位して晋を再興し東晋王朝を開いた。貴族や豪族の力が強く、とくに琅邪郡(山東省)出身の王氏一族が内外に権をとったので、「王と馬とが天下を共にす」といわれた。劉隗(りゅうかい)らの側近を重用して帝権強化を図ったが、王導の従父兄(いとこ)王敦(おうとん)の反乱を招いて、乱中に憂死した。
[安田二郎]
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276~322(在位317~322)
東晋の創立者。諡は元帝,廟号は中宗。初め琅邪(ろうや)王であったが,名族王導の助けを得て建康(南京)に拠る。土着豪族と北方渡来の名族の支持を得て,西晋が匈奴(きょうど)に滅ぼされると即位して東晋を建てた。
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…在位317‐322年。姓名は司馬睿(しばえい),廟号は中宗,宣帝司馬懿(しばい)の曾孫。八王の乱の末期,下邳(かひ)(江蘇省)に鎮守し幕府を開いて揚州(江蘇,浙江,安徽,江西)の軍事権を統轄した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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