コンスタンチン・パブロビッチ(その他表記)Konstantin Pavlovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

コンスタンチン・パブロビッチ
Konstantin Pavlovich

[生]1779.5.8. ツァールスコエセロー
[没]1831.6.27.
ロシアの大公。パーベル1世次男。 1805年アウステルリッツの戦いに参加,武名を揚げる。 14年ポーランド総督に就任。 25年兄アレクサンドル1世が死んだとき,帝位継承法に基づき即位するはずであったが,ウスペンスキー大聖堂に保管されていたアレクサンドルの遺書で継承権を辞退していることが判明,弟のニコライ (のちの1世) が帝位についた。この3週間の空位時代にデカブリスト蜂起が決行された。引続きワルシャワにとどまったが,放縦な性格のため,30年ポーランドの革命反乱の際,指揮下の軍隊離反にあい,反乱鎮圧の前にコレラで死んだ。

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