改訂新版 世界大百科事典 「コーサラ」の意味・わかりやすい解説
コーサラ
Kosala
現在のウッタル・プラデーシュ州東部にあった古代インドの王国。後期ベーダ時代に興り,はじめアヨーディヤーAyodhyāを都としていた。叙事詩《ラーマーヤナ》の英雄ラーマは,この都で生まれたという。その後,都は北方のシュラーバスティー(舎衛城)に移された。前6世紀ごろコーサラ国は〈十六大国〉の一つに数えられていたが,やがて南隣のカーシーKāśī国(都はワーラーナシー)を併合し,南東方の大国マガダとガンジス川中流域の覇を争うにいたった。ブッダ(仏陀)が布教活動を行っていたころ,この国はプラセーナジット(波斯匿(はしのく))王の治下にあった。王の妹がマガダ国のビンビサーラ(頻婆娑羅(びんばしやら))王の妃であったため,両国の関係は良好であったが,マガダ国にアジャータシャトル(阿闍世(あじやせ))王が立つと,両国は国境付近の領地をめぐって戦端を開いた。そして長期戦ののち,プラセーナジットの子ビドゥーダバViḍūḍabhaの時代にマガダ国に滅ぼされた。プラセーナジット王は仏教信者としても知られ,ブッダはしばしば都のシュラーバスティーを訪れ,滞在した。大商人アナータピンディカAnāthapiṇḍika(給孤独(ぎつこどく))の寄進した祇園精舎(ぎおんしようじや)が建てられたのも,この都である。ブッダの出たシャーキャ(釈迦)族は,コーサラ国の属国であったが,ブッダの晩年にビドゥーダバ王によって完全に滅ぼされた。
デカン高原北東部に,4~10世紀ごろ,同じコーサラという名の国が存在した。この国は,上記のコーサラ国と区別するため,しばしば〈南コーサラ国Dakṣiṇa Kosala〉と呼ばれる。
執筆者:山崎 元一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報