シュラーバスティー
Śrāvastī
古代インドのコーサラ国の都。漢訳には舎衛城(国)と記される。現在のウッタル・プラデーシュ州のサヘート・マヘートのうちのマヘートに,かつての都シュラーバスティーの遺跡がある。釈迦在世当時(前5~前4世紀)のコーサラ国はマガダ国とならぶ二大強国であり,その都はラプティ川の南岸に位置する商業都市であった。7世紀に玄奘(げんじよう)が訪れたときにはすでに荒廃し,都城の境界も定まらないような状況であったという。郊外には1863年にカニンガムによって発掘されたスダッタ(須達)長者の寄進した有名なジェータ太子の園林(祇園精舎)がある。当時のプラセーナジット(波斯匿(はしのく))王は,初めバラモン教の信奉者であったが,後に妃の勧めで釈迦に帰依している。
執筆者:三友 量順
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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シュラーバスティー
しゅらーばすてぃー
Śrāvastī
古代北インド、コーサラ国の都。漢訳仏典の舎衛城(しゃえいじょう)。ブッダ在世のころプラセーナジット(波斯匿(はしのく))王のもとで、政治、経済の中心として栄えたが、コーサラ国滅亡(前5世紀初め)とともに衰微した。今日、ウッタル・プラデシュ州のサヘート・マヘートから遺跡が発掘されている。なお、ブッダがしばしば滞在した祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)は、この都の大商人スダッタ(須達(しゅだつ))がジェータ王子の園林を買って仏教教団に寄進したものである。
[山崎元一]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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シュラーバスティー
Śrāvastī
北インドの古代都市。漢訳仏典の舎衛城。ブッダ時代 (前6~5世紀) にコーサラ国の都としてプラセーナジット王 (波斯匿〈はしのく〉) のもとに栄えていたが,コーサラ国の滅亡とともに繁栄を失った。アナータピンディカ長者 (給孤独長者) がブッダに寄進した祇園精舎はここにあった。この都市の遺跡の一部が,現在のウッタルプラデーシュ州のサヘート・マヘートで発見されている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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「シュラーバスティー」の意味・わかりやすい解説
シュラーバスティー
インドの古地名。舎衛城(しゃえじょう),舎衛国とも。釈迦時代に北部インドにあったコーサラ国の首都で,現在のウッタル・プラデーシュ州のゴンダ付近に比定されている。釈迦がとどまって説法をし,プラセーナジット王(波斯匿(はしのく)王)が治めた国で,南郊に祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)があった。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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