改訂新版 世界大百科事典 「ワーラーナシー」の意味・わかりやすい解説
ワーラーナシー
Vārānasī
インド北部,ウッタル・プラデーシュ州東部にあるヒンドゥー教,仏教の一大聖地であり,同名県の県都。人口109万1918(2001)。北西の首都デリーへ約820km,南東のコルカタ(旧カルカッタ)へ約700kmと両巨大都市を結ぶ幹線鉄道と国道2号線のほぼ中間点に位置する。市街地は,聖なるガンガー(ガンジス)川が,この付近で南から北へ流れる左岸に半円状に広がる。
前6~前5世紀ころには,十六大国の一つカーシー国の首都で,ガンガー中流域における最大の政治,経済,文化の中心都市であった。当時,町はワーラーナシーと呼ばれたが,それは市街地北部を西から東流してガンガー川に合流するワーラーナ川と,南部を東流する小河川アシー川に挟まれた町の意であったとされる。11世紀初頭,イスラム教徒のガズナ朝の勢力下に編入され,ウルドゥー語流に発音し,バナラスBanarasと呼ばれるようになる。1794年,東インド会社領に併合されると英語流に発音してベナレスBenaresと呼んだ。
ワーラーナシーは前1000年ころには,アーリヤ人社会の宗教,文化の一大中心地であった。カーシー国時代には釈迦が訪れ,北郊約6kmのサールナート(鹿野苑)で説法するなど,宗教・文化都市の性格を保ち続けた。1193年にはゴール朝のムハンマドに征服され,以後18世紀初頭までイスラム教徒による支配の時代を迎える。こうした時代にもチャイタニヤ,カビール,トゥルシーダースなど偉大な哲学者や文学者が出現し,ヒンドゥー文化を発展させた。やがてムガル帝国の勢力が弱まると,1725年にヒンドゥー教徒のマナサ・ラムが,皇帝より徴税権を与えられる。その息子バルワント・シンは,38年にワーラーナシー藩王国を成立させ,ガンガー川を挟んで町の対岸にラムナガル城を建設し,地域一帯に支配領域を確立した。この支配権は長続きせず,75年には東インド会社の進出を許し,94年に会社の支配地とされた。1911年,イギリスはP.ナーラーヤン・シンに藩王国領主権を与えた。
市内には,大小1500近いヒンドゥー教寺院と270以上のモスクがあるといわれる宗教都市である。年間100万を超える参拝客が訪れ,ガンガー川の西岸約5kmにわたってのびる階段状のガート(沐浴場)で身を清め,市内の寺院に参拝する。ガート沿いには,寺院や参拝客用のホテル,民家がさまざまなデザインで立ち並び,ガンガー川の川面と美しい調和をみせている。なかでも17世紀に建立されたビシュワナート寺院(別名,黄金の寺),ドゥルガナ寺院が有名である。
市の中心部は,狭い道路に商店街がひしめき合い,とりわけ,黄金の寺に向かうビシュワナート小路には,小規模の各種みやげもの店が集中する。町の南端にインド六大国立大学の一つバナラス・ヒンドゥー大学(1916開学)があり,アジア最大といわれる広大なキャンパスに1万人を超える学生が学ぶ。キャンパス中央には,ビルラー寺院があり,近代ヒンドゥー教寺院の代表的建築物として参拝客が絶えない。町は,金・銀糸をちりばめた絹の手織サリーの生産で世界に名高い。市内各所で,1台ないし数台の手動織機によるサリーの賃織が盛んである。手工業の各種シンチュウ容器も伝統的特産品で,宗教的用具として発達した。また,1950年代末に操業を始めた国営ディーゼル機関車工場は,町の新しい顔である。
執筆者:中山 修一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報