日本大百科全書(ニッポニカ) 「コーポレート・アート」の意味・わかりやすい解説
コーポレート・アート
こーぽれーとあーと
corporate art
企業が所有する美術品のコレクション。1959年にアメリカのチェース・マンハッタン銀行(現、JPモルガン・チェースの中核をなす商業銀行)が現代美術の作品収集を始めたのが歴史的先行例として知られる。2000年の時点で総数1万8000点に上るコレクションは同行本店や支店の壁面を飾り、若手美術作家の支援というメセナ(芸術支援)あるいはフィランスロピー(社会貢献)活動として大きな社会的役割を果たしている。ヨーロッパでも同様の事例は数多く存在し、1970年代から現代美術のコレクションを始めたドイツ銀行では、フランクフルト本店の高層ビルの各階に1人の作家の作品を展示し、フロア表示には作家名が冠されている。そのほか自動車メーカーなどさまざまな業種の企業がコーポレート・アートを所有しているが、欧米の企業が同時代美術の収集に積極的であることの背景には、「未来の価値への投資」という企業理念を具現化し社員や顧客および社会全般にアピールするという広報戦略がある。
若手作家の作品収集を行っている企業は日本にも数多く存在する。1919年(大正8)から資生堂ギャラリー(東京)を開設して若手作家の作品紹介を行うとともに、椿展を通して一定の作家の作品を定期的に収集する資生堂の活動は、コーポレート・アートの歴史における先駆的事例である。近現代の日本画を専門に収集してきた山種(やまたね)美術館(1966年開設、東京)も同様の社会的貢献を果たしてきた。
欧米のコーポレート・アートが企業主体の収集活動なのに対し、日本おける企業と美術コレクションの関係は創業者など実業家個人のコレクションである場合が多い。日本初の私立美術館として大倉喜八郎の収集品を所蔵し1917年に設立された大倉集古館(東京)、ブリヂストン美術館(1952年開設、東京)、出光(いでみつ)美術館(1966年開設、東京)などがその主要な例である。他方サントリー美術館(1961年開設、東京)は、個人コレクションを母体とせず、企業の文化活動として設立された早い事例だが、日本では個人コレクションの歴史的な影響から、実業家ではなく企業本体が美術品の収集活動をする場合も、古美術や西洋の名画など文化財的価値の高いものが収集の主流で、また美術館設立という形態をとる。これは日本のコーポレート・アートの大きな特徴であり、主にオフィスや店舗、ときには工場に現代美術作品を展示することが多い欧米とは大きく異なる点である。美術館を設立し文化財を収集する日本型の手法は、企業の文化的シンボルとしてコーポレート・アートを広く社会にアピールするのに効果的な方法である。一方、欧米のような同時代の若手作家の作品を社内展示する方法は、職場環境の向上や、先端的な表現作品で社員の創造性を日常的に刺激するといった企業文化の醸成に力点を置いたものである。
そのほかコーポレート・アートとして収集された作品は企業の資産という意味合いももっている。1980年代の日本のバブル経済下では多くの日本企業が投機目的で名画を内外のオークションで落札し、市場価格を吊り上げる買いあさりとして批判を浴びた。こうした目的で購入された美術作品は景気の悪化や企業の業績不振で売却され、ほとんど公開されずに死蔵されてしまう場合が多い。また、アメリカのIBMが1930年代から収集してきたアメリカ作家の美術コレクションを1995年に3100万ドルで売却した事例は、若手作家の作品を収集するメセナ活動も、実は同時に効果的な資産運用でありうることを示す好例である。
コーポレート・アートはまた、野外彫刻などコミッション・ワーク(委嘱作品)の形をとることも多い。日本のベネッセコーポレーションが観光文化事業を展開する瀬戸内海の直島(なおしま)(香川県)で、地域の古い民家を買い上げ1軒まるごと1作家に委嘱して芸術作品化する「家プロジェクト」(1997~2002)のように、芸術支援性および地域社会への貢献度の高い事例もあれば、スウェーデンのアルコール飲料会社アブソルート・ウォツカが芸術家に限定ボトルのデザインを委嘱し、それらの作品のプロトタイプ(試作品)が同時に同社のコレクションを形成するなど、マーケティング戦略の一環として成功した広告宣伝色が濃厚な事例も存在する。
投資、社員の文化的啓発、対外的なCI(コーポレート・アイデンティティ)戦略、社会貢献活動など、さまざまな意味で企業の文化資産を形成するコーポレート・アートは、収集方針や目的、コレクションの活用方法などに明確な戦略と高い専門性をもつことで、所有する企業にとってのメリットがより確かなものとなる。また、コーポレート・アートは収集でも売却でも美術市場に大きな影響を与える可能性がある。企業が文化財の重要なコレクターとなった現代社会で、コーポレート・アートは作品の収集・保存・管理・公開などその運用に大きな社会的責務が伴うものである。
[熊倉純子]
『室伏哲郎著『21世紀企業の文化戦略――CIからCAへ』(1990・廣済堂)』▽『ファイン・アート・コミュニケーションズ編『コーポレート・アート・マニュアル』(1992・日刊工業新聞社)』