改訂新版 世界大百科事典 「サミン運動」の意味・わかりやすい解説
サミン運動 (サミンうんどう)
インドネシアの中東部ジャワにおいて,サミン主義者がオランダ植民地支配期に間欠的に展開した宗教・政治運動。サミン主義とは,中部ジャワ,ブロラ県の農民スロンティコ・サミンSurontiko Samin(?-1914)が1880年代半ばころから説くようになったジャワ神秘主義の教説である。ただし,サミン主義者自身はサミンの教えをアダムの宗教Agama Adamと呼び,また自らをシケップの民Wong Sikepと称した。その教えの要諦は,人は〈人の法則〉に従って妻との営みに励み,また〈労働の法則〉に従って土地を耕す農民の生活に徹すれば,おのずから神なる資質を自らのものとしうるということであり,それは,〈アッラーは我がうちにあり〉と説いた聖者セ・シティ・ジュナルのイスラム神秘主義の系譜に連なるものであった。サミン主義は1900年以降,ブロラ県からボジョヌゴロ,パティ,ルンバンなど主としてチーク林の広がる中東部ジャワの山地帯に拡大した。またこの過程で,サミン主義者は07年,14-16年,28-29年とオランダ植民地支配に対し非暴力的抵抗を行った。その内容は,納税労役の拒否に始まり,オランダ人,ジャワ人官僚,さらにはモスク管理の任にあたる宗教役人の権威をいっさい否認するもので,これは,〈我は神なり〉〈国とは我自身のことなり〉というサミン主義者の宗教的確信の行動的表現にほかならなかった。
執筆者:白石 隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報