佐賀県南部、杵島郡(きしまぐん)にある町。有明海(ありあけかい)に臨む。1936年(昭和11)福治(ふくち)村が町制施行し、白石町と改称。1955年(昭和30)六角(ろっかく)、須古(すこ)の2村と合併、翌1956年に北有明村と、橋下(はししも)、有明の2村の各一部を編入。2005年(平成17)福富(ふくどみ)町、有明町と合併。町域は、有明海湾奥部、六角川下流右岸、塩田(しおた)川左岸の白石平野に位置し、JR長崎本線、国道207号、444号が通じる。西に万葉の名山杵島山が南北に連なり、その東方約10キロメートルにわたり低平な水田地帯が広がる。西部には古代の条里制遺構や中世の須古城跡をみる。また、鎌倉御家人(ごけにん)白石氏の拠点とされる。江戸時代は須古鍋島(なべしま)氏の知行(ちぎょう)地。近世以降に多くの搦(からみ)名の干拓地が形成され(搦とは、杭(くい)にそだや竹を絡(から)ませ柵(さく)として泥をため、堤防を築いて干拓するもの)、佐賀藩営の六府方(ろっぷかた)搦もできた。搦・堤防安全の竜(りゅう)神社や潮止観音などが祀(まつ)られる。灌漑(かんがい)用水不足に悩み、深井戸や米の直播(じかま)きなどの普及をみたが、水不足の解消、洪水・塩害の防止などを目的に、六角川河口堰(ぜき)が建設された。同川河口の住ノ江(すみのえ)港は、かつては杵島炭鉱の石炭積出しで繁栄した。現在は、東方に搦名などの干拓地が開け、南東地先に国営有明干拓地(新拓(しんたく))が分布。広大な国営有明干拓は1969年にいちおう完成した。水不足に悩み、深井戸灌漑(かんがい)に依存したが地盤沈下に直面、その対策事業や圃場(ほじょう)整備事業が進められ、2012年には白石平野への灌漑などを目的とした嘉瀬川ダム(佐賀市)が完成した。
米、麦、大豆を柱とし、特産の蓮根(れんこん)、タマネギ、イチゴの栽培、「しろいし牛」で知られる畜産が目だつ。有明海のノリ養殖も盛ん。ほかにイグサ、ミカンなどを栽培。杵島山中腹の稲佐神社(いなさじんじゃ)は、県天然記念物の大クスの茂る古社で、雨乞(あまご)い祈願など、近郷農民の崇敬を集めている。また同山には、歌垣(うたがき)の万葉歌碑、歌垣公園、城を模した展望所「肥前犬山城」や出水(でみず)法要の「水堂さん」で知られる安福寺(あんぷくじ)がある。塩田川河口近くの竜王崎(りゅうおうざき)には、県天然記念物の大クスがある海童神社と県史跡の古墳群がある。国指定天然記念物カササギが生息する。佐賀平野の伝統的建築「くど造り」民家(屋根の棟がコの字状になっており、くど(かまど)の形に似ている)が多い。民俗芸能「鉦浮立(かねぶりゅう)」が伝承される。面積99.56平方キロメートル、人口2万2051(2020)。
[川崎 茂]
『『白石町史』(1974・白石町)』
宮城県南西部に位置する市。1954年(昭和29)白石町と越河(こすごう)、斎川(さいかわ)、大平(おおだいら)、大鷹沢(おおたかざわ)、白川(しらかわ)、福岡の6村が合併して市制施行。1957年小原(おばら)村を編入。白石盆地南半を占め、JR東北本線、東北新幹線、国道4号、113号、457号、東北自動車道が通じる。中世に白石氏の拠(よ)った所で、近世には仙台藩の家老片倉氏の城下となり、奥州街道の宿駅でもあった。1868年(慶応4)には戊辰(ぼしん)戦争を前に奥羽越列藩同盟の締結地として明治維新の一こまを飾った。片倉氏の奨励になる和紙や饂麺(うーめん)の製造は、白石川から引いた水路や湧水(ゆうすい)と冬の乾燥気候を利用したもので、和紙は現在では民芸品として名残(なごり)をとどめ、伝統を継ぐ食品工業はなお盛んで、製粉や饂麺、はるさめなどが生産される。ほかに縫製、電子、ナイロンなどの工業がある。農業は米作のほか、酪農が盛んで、カキ、キュウリやシイタケが特産物となっている。鎌先(かまさき)温泉、小原温泉、白石湯沢温泉などがある。鎌先に近い弥治郎(やじろう)のこけしは郷土玩具(がんぐ)として著名で、宮城伝統こけしとして国の伝統的工芸品に指定される。白石では全日本こけしコンクールが開かれる。小原には材木岩(国の天然記念物)や徳富蘇峰(とくとみそほう)の命名になる碧玉渓(へきぎょくけい)の景勝があり、またヨコグラノキ、ヒダリマキガヤ、コツブガヤなどは国の天然記念物に指定されている。東部には国の天然記念物球状閃緑岩(きゅうじょうせんりょくがん)(菊面石)の産地がある。越河は江戸時代奥州街道の宿で藩境に位置したため、伊達(だて)の大木戸とよばれる越河関所跡があり、同じく宿場だった斎川は小児の疳(かん)の薬「孫太郎虫(まごたろうむし)」の産地である。面積286.48平方キロメートル、人口3万2758(2020)。
[長谷川典夫]
『『白石市史』全8冊(1971~1987・白石市)』
札幌市の東部を占める地区。区名でもある。旧白石村。1950年(昭和25)札幌市と合併したが、1989年(平成1)東部の厚別(あつべつ)地区が厚別区として分区した。明治初期に宮城県の元白石藩士らが移住開墾した地で、札幌都心に近い白石地区は商業・住宅地、厚別地区は札幌市に合併するまでは水田と酪農の豊かな農村地区であった。JRの函館(はこだて)本線、千歳(ちとせ)線、市営地下鉄東西線の各駅や国道筋を中心に市街化が急速に進み、厚別地区に市営青葉町、もみじ台団地のほか、民間会社による大小の住宅団地が造成され、人口の増加率はきわめて高い。大谷地の新卸売業務団地には流通関係企業約170社が操業しており、厚別新川を境に、交通ターミナルとなった現厚別区新札幌駅付近の副都心に通じている。
[奈良部理]
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
佐賀県中南部,杵島(きしま)郡の町。2005年1月有明(ありあけ),旧白石,福富(ふくどみ)の3町が合体して成立した。人口2万5607(2010)。
白石町南西部の旧町。杵島郡所属。人口9073(2000)。東は有明海に面し,南は塩田川をはさんで鹿島市に接する。西部は杵島山より南にのびる山地で,中央部以東は中世以降の干拓地からなる。主要集落の廻里津(めぐりつ)は中世以来の河港。東部前面は国営有明干拓地で,中央部をJR長崎本線,国道207号線が縦断する。米作を主体とする農業が基幹産業で,従来から行われていたれんこんの栽培のほか野菜,畜産,施設園芸などを加えた複合化を目ざしている。有明海ではノリ養殖が盛ん。山麓には県天然記念物のクスノキがある稲佐神社や,和泉式部の墓と伝える石造三重塔を有する福泉寺,海竜神社などがある。
白石町中部の旧町。杵島郡所属。人口1万3757(2000)。六角川中・下流南岸にあって,南東は有明海に面する。西端の杵島山付近の山地を除くと,筑紫平野の西端を占める沖積低地で,条里制の遺構が残る。海岸部は鐘松土居をはじめ近世以降の干拓地で,護岸を意味する搦(からみ)のつく地名が多い。主産業は農業で,米,麦と並んでれんこん,タマネギなどの栽培,イチゴなど施設園芸が盛ん。沿岸ではノリの養殖が行われる。杵島山北側の歌垣山には万葉歌碑が建てられ,山麓には出水法要で有名な安福寺観音堂(水堂)があり,〈水堂さん〉の名で親しまれている。JR長崎本線,国道207号線が通じる。
白石町北東部の旧町。杵島郡所属。人口5563(2000)。有明海に注ぐ六角川の河口部南岸に位置し,町域の大部分が近世以降の干拓地である。天正年間(1573-92)福富氏によって開発が始められたと伝えるが,近世,佐賀藩の六府方による搦(干拓)事業の推進などで有明海は干拓され,町内の地名にも〈搦〉のつくものが多い。水量にはめぐまれず,溜池や掘抜き井戸により灌漑が行われてきた。六角川河口の住ノ江港は,江戸末期より米,明治中期からは杵島炭田の石炭の積出港として栄えた。住ノ江の地名は対岸の小城市の旧芦刈町にもあるが,港は行政上は当町に属した。1955年に住ノ江橋が架橋されるまでは渡船があった。米作を中心とする農業が主産業で,溜池や湿田を利用して生産されるれんこんは特産として知られ,沿岸ではノリの養殖も行われる。
執筆者:松橋 公治
宮城県南端の市。1954年白石町と越河(こすごう),斉川,大平,大鷹沢,白川,福岡の6村が合体,市制。57年小原村を編入。人口3万7422(2010)。阿武隈川の支流白石川の流域にあり,白石盆地の南半を占める。中世に白石氏が拠った地で,近世には仙台藩領の南の要所を占め,重臣片倉氏が白石城に居城し,城下町が形成された。仙台・松前道の宿駅でもあり,2・7日の六斎市が立ち,片倉氏が奨励した和紙などが取引された。JR東北本線,東北新幹線,国道4号線,東北自動車道が通じ,宮城県南部の商業中心地であり,近世以来の伝統をもつ製粉,うーめん,春雨などの食品工業や縫製,電子,ナイロンなどの工業も行われる。蔵王観光の基地であり,西部に鎌先温泉(含ボウ硝食塩泉,32~49℃),小原温泉(単純泉,50℃)がある。鎌先に近い弥次郎(やじろう)集落はこけしの産で名高い。小原にある柱状節理をもつ材木岩やヒダリマキガヤ,コツブガヤ,ヨコグラノキ,市域東部にある球状セン緑岩(菊面石)は天然記念物に指定されている。南部の斉川は近世には宿場町であり,疳(かん)の薬の孫太郎虫の産地として知られる。白石城跡は桜の名所で,横綱谷風,大砲の碑がある。
執筆者:長谷川 典夫
刈田氏(白石氏)の本拠であったが,南北朝時代初め伊達氏の勢力圏にはいり,豊臣時代の蒲生氏領有を経て,関ヶ原の戦後伊達政宗領となった。1602年(慶長7)片倉小十郎の給地となる。白石城(益岡城)は本丸をもつ平山城で,仙台城と並び仙台藩二城の一つ。一国一城制の例外である。周囲に小路・丁を称する侍屋敷があり,元和年間(1615-24)に町屋6町が成立,検断が置かれて伝馬継立ての役を負担した。6町にはその大部分が町役をつとめる町足軽157軒ほどと百姓屋敷158軒ほどが混在し,1町は約1丁20間~3丁ほどから成っていた。1868年(明治1)奥羽越列藩同盟結成の舞台となり,ついで盛岡藩転封地,明治政府按察府・白石県庁所在地と変遷した。また片倉家中の北海道移住が行われ白石村を開拓している。
執筆者:難波 信雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…小十郎は世襲名だが景綱(1557‐1615)が著名で,豊臣秀吉の奥州仕置に際し伊達政宗の小田原参陣を推進,近世大名としての伊達氏再生を決定づけた。独立大名化の誘いを固辞,一国一城の例外的措置である白石(しろいし)城にあって1万3000石を領した。先祖は信濃国伊那郡片倉村に住し,大崎氏に従い奥州に下ったと伝える。…
※「白石」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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